調査票結果

年中行事名
■その他(敬老会(9月)、総合共進会(12月))
市町村名
読谷村
行政区
座喜味
小字名
(ザチミ)
地元での呼び方
座喜味棒(ザチミボウ)

武術的身体表現の形態

武術的身体操作・表現の形態
演武者は「棒チカヤー」と呼ばれ、棒術を演武する前に全員で「スーマチ(総巻)」を行う。 他字の棒術と比べ、何よりも「実践型」で常に相手の急所を狙って攻める戦いが特徴である。
武術的身体操作・表現の分類
■型の演武(舞)がある ■対面での打ち合い等がある、 ■その他(棒術を演武する前に演武者全員で「スーマチ(総巻)」を行う。)

時期・場所

行事が行われる期日(旧暦)
戦前は、農閑期を利用して旧暦の7月16日、8月15日、9月9日に「アシビ」と言われる催しが開かれた。 現在は、字行事の敬老会(9月)、総合共進会(12月)で演武披露される。
上演の場所
戦前は、座喜味公民館の西側にある丘のアシビナー。(現在はアパートが建っており、丘の形状は見られない) 現在は、公民館で演武披露するが、「スーマチ(総巻)」は公民館前通りで披露される。

行事の目的・由来・伝承

行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
戦前のアシビは、「二才頭(ニーセーガシラ)」と呼ばれる青年が区長に掛け合い、アシビの開催許可を得るのが習わしであった。 アシビの開催が決まると、アシビのムスビーといって豚をつぶして会食し、練習を始める。青年たちは練習を重ね、ある程度仕上がるとアシビナーでスーダチグヮーと称する公開練習を行い、旧暦9月末の最後のアシビとなる「別れ遊び」で盛大に催した。
中断・再興の時期とその理由
座喜味の棒術は約500年の歴史を持ち、座喜味城主護佐丸公の時代から普及したといわれるが、何らかの理由で明治まで途絶えている。 復活は、明治13年ごろ部落出身の山城平三氏(屋号上原)が15才のときに津堅島出身の「つぼやのタンメー」と呼ばれる炭焼き老人から技術を習得したといわれる。
武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
座喜味の棒は、武術の技術習得だけではなく、村全体の防衛の役割を担っていたとされ、農民の確たる結びつきを大切にするとともに、村落共同体が形成されるものであったとされる。 棒術の技術習得には、最初は「棒に人間が振られ」、次に「棒が棒を振る」、3~4年から「人が棒を振る」の域に達するといわれ、心・技・体があわせもって基本技術が習得されます。

当該行事における意味

行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
スーマチ(総巻)は、棒術の演武者全員による本番に入る前のスネーで、公民館広場で行われる。メーボー(前棒)とクシボー(後棒)に分かれスーマチヌユイアシと称する行進を行う。西側に親頭旗、東側には子頭旗が立ち、それを中心にブルマチ(全員巻き)と称し渦を巻く。その後、本番のユイアシ(ユイ合わせ)を経て棒術が演じられる。 鳴り物は、ホラ貝、太鼓(大・小)、鐘、指笛を打ち鳴らす。

組織・指導者・伝承方法

組織
座喜味棒保存会は、1975年(昭和50年)4月10日に結成。構成員は字出身の青年が中心である。 現在の保存会構成員は、小学生の頃から棒術を演じている。
組織の特化
■武術の部分に特化した組織がある(座喜味棒保存会)
各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
座喜味棒の保存・継承を目的に、座喜味子ども会に指導者を送り技術継承に努めている。
指導者の氏名(さかのぼるまで)
棒術の奥義といわれる牛若流(ヤイ棒)を演じた者。 島袋氏、屋我氏、真栄田氏、島袋氏、與儀氏、屋我氏(※全者昭和生まれ)
出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
戦前の「棒チカヤー」は、青年(15~25才)が中心だった。 現在の棒保存会は、青年を中心に16~65才までが構成員となっている。 子ども会では、幼児~中学生(15才)までの男女が演じる。

稽古の仕方、期間

稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
戦前は、旧暦7月16日、8月15日、9月9日に開催されるアシビに向けて練習を行った。 現在は、字行事及びその他公演等に向けて随時練習を行っている。
稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
戦前は、棒頭3名を輩出し、頭の家で練習に取り組んだ。 現在は、公民館前広場にて行われる。

演舞(武)構成

演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
棒の型は、11種類の記録が残されている。 1一番棒(初心者が演じる型)、2二番棒、3三番棒、4不意打ち棒(闇討ち棒ともいわれる。)、5畦流(あぶし)棒(田圃の畦道のような狭い道でも演じられる型)、6三尺棒(前後とも三尺棒を操り、機敏性に富んだ型)、7三尺六尺棒(前が三尺棒、後が六尺棒)、8三方棒(前棒は左右と後、後棒は左右と前の三方向に攻撃する)、9三尺三人棒(三人で演じる棒術で前棒が三尺棒を操る)、⑩六尺三人棒、⑪牛若流(ヤイ棒といわれ、三尺五寸棒の先端に槍が付いた前棒と四尺棒の先端に鉈が付いた後棒が接近戦を展開し、一番最後に演じられる型)
集落以外での披露の有無
■集落以外(市町村内)で演武(舞)したことがある ■公民館やホールなど(市町村外)で演武(舞)したことがある ■その他(国外、県外でも演じることがある。)

衣装・道具

衣裳・道具の名称と着方
以前は、黒着物(クルチナー)を着用し、縄帯を締めて裸足で演じられていた。 現在は、紺色系統のトレーニングウェアの上下(長袖※腕まくり・長ズボン)に、上から読谷山花織のウッチャキを着用し、ミンサー帯を締めている。頭には紫色の頭巾を戦闘かぶりにし、足には脚絆を締め、裸足で演じる。 棒は六尺棒を基本とするが三尺棒も使用する。
衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
衣装は、洗濯機の使用は禁止され、手洗いと陰干しでメンテナンスを行っている。また、全ての衣装は保存会備品のため、公民館において保存管理を行っている。
衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
現在の衣装のウッチャキは、伝統工芸品の読谷山花織を使用し、座喜味出身の織子及び座喜味婦人会員が平成7年のハワイ公演時に新調(作製)したものである。 修繕及びメンテナンスは、織子や婦人会へ依頼する。
棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
現在の、棒は六尺棒を基本とするが三尺棒も使用し、購入先は県内の武術取り扱い店舗(守礼堂)にて入手している。

音楽

楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
ブラといわれるホラ貝は、演武前のスーマチやユイアシの合図など高等な技術が求められ、専門の担当者がいる。また、ホラ貝は個人用として複数所持し、その日のコンディション(屋内外、気温、湿度など)で使い分けている。 太鼓は、締め太鼓(小)を使用し、ドラ鐘、指笛などそれぞれ複数人が打ち鳴らす。
楽曲(戦前、戦後の変化)
スーマチやユイアシは、ブラの合図に始まり太鼓と鐘の独特のリズムに合わせ行進する。 棒術演武時には、全ての鳴り物を切れ目なく乱れ打ち鳴らし、闘争心を高める。 全ての演武後に、太鼓切り(タイコジリ)といわれる、三人で締め太鼓をリズムよく叩き、鐘の合図で演武を閉じる。

課題

支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
衣装を新調したいが、オーダーメイドのため金銭面で苦慮している。伝統工芸品の読谷山花織にこだわりがあるので、代替品は考えられない。
コロナで影響を受けたこと
継承を目的に子ども会へ指導者を送り普及活動に努めているが、コロナ過により子ども会活動及び子ども会員が減少している。コロナ前の子どもは、現在も継続して活動(棒術)しているが、新規入会の子どもが減少しているため継承に不安が生じている。

記録

文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
■映像記録(地域文化遺産ポータル「座喜味棒 ~わったー肝心を伝えたい~」) ■古老の記録、メモ(座喜味棒・観光文化交流キャラバンインハワイ参加報告書/1996年座喜味棒保存会編) ■その他(ムラアシビ 読谷の文化第4集/1989年読谷村教育委員会編