調査票結果

年中行事名
■盆行事
■その他(シチグァチエイサー・ジューグヤー「旧歴八月十五日 観月会」)
市町村名
読谷村
行政区
宇座区自治会
小字名
宇座
地元での呼び方
「シチグワッチエイサー」「ハチグァチジューグヤーアシビー」

武術的身体表現の形態

武術的身体操作・表現の形態
・棒術「ボーチカイ」 ・エイサー(旧暦7月16日「ウークイ」には、エイサー演舞のつなぎに演舞。
・ジューグヤー(旧暦8月15日 観月会)には、組踊り・舞踊と組み合わせて演舞する。
武術的身体操作・表現の分類
■型の演武(舞)がある
■対面での打ち合い等がある

時期・場所

行事が行われる期日(旧暦)
・ 旧暦 7月15・16日(旧盆 「シチグァッチウークイ」 ・旧暦8月15日 「ハチグァチジューグヤー」 
上演の場所
宇座区内拝所「宇座山内楊姓門中(ウザヤマチヨウセイモンチュウ)家・主ヌ前殿地(シュヌメードゥンチ)」及び公民館中庭の順序で演舞。

行事の目的・由来・伝承

行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
戦前の宇座部落では、青年たちが旧7月16日の盆踊りと、旧8月15日の観月会の二回にわたって「アシビ」を行った。その際、組踊り・舞踊などとともに、棒術も披露された。
中断・再興の時期とその理由
戦後、途絶えていた部落芸能を、1960年ころから徐々に復活。その際に旧暦7月のお盆行事及び観月会も戦前のように復活させた。
武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
宇座誌「残波の里、第1巻」によると、年代は不明だが、西原間切の豪傑、御茶当真吾良(ウチャトーマグラー)が、読谷山按司家(護佐丸)と親しく、このマグラーの棒術が宇座棒の元祖ではないか。とみられている。

当該行事における意味

行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
戦前は、邪気払い・豊年祈願・健康祈願が主で、十五夜アシビーで演舞していた。が、戦後から復帰後、現在に至るまで字行事として旧盆や十五夜等に演舞するようになった。旧盆では、エイサー演舞のつなぎの間として、十五夜では組踊りや上い口説囃しなどの部落芸能の一つとして行われるようになった。

組織・指導者・伝承方法

組織
宇座区伝統芸能保存会及び青年会が運営。
組織の特化
■自治会が一括する
各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
自治会が一括し、旧7月のお盆は青年会が、旧8月の観月会は伝統芸能保存会が中心となり、運営する。
指導者の氏名(さかのぼるまで)
復帰後の指導について、火棒(ヒーボウ)・牛若(ウシワカ)の2種類は前棒(3尺)、後棒(6尺)の組み合わせで、後割(クシワイ)・踊り棒(ウドゥイ棒)の2種類は6尺棒の組み合わせとなり、棚原氏・仲宗根氏・与久田氏・与久田氏が戦後の棒術を復活させ、松田氏さん・山内氏さん・津波氏さん・松田氏さんが現存の指導の先輩方(60代)で、山内氏・山内氏・松田氏 他、5~6人の30代が現在の演舞者で、で、中学生などの指導を行っている。
出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
中学生・高校生が、文化祭での各字芸能発表会のため習い始めたり、現役の青年会(18~25才)はもちろん、30代の方々が演舞者である。

稽古の仕方、期間

稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
それぞれの行事が近づく3か月前から週末の稽古が始まり、1か月前からは、毎日夜(2時間程度)の稽古を実施。
稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
公民館敷地内外

演舞(武)構成

演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
ヒーボウ・ウシワカ・ウドゥイボウ・クシワイの4種類の棒術を2組が順で繰り返す。ヒーボウ・ウシワカの前棒は3尺棒・後棒は6尺棒。他はすべて6尺棒を使用する。他、クラシン(暗闇)棒(前後共6尺棒)・エーク(櫂)棒(前後共サバニを漕ぐ櫂)・スーマチ(潮巻)などがあるが、現在は途絶えている。
集落以外での披露の有無
■集落以外(市町村内)で演武(舞)したことがある

衣装・道具

衣裳・道具の名称と着方
白頭巾(頭)・ 黒上着、ズボン・白帯・脚絆(キャハン)・白足袋
衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
戦前の用具などの管理は、各芸能の責任者がその方の自宅で管理し、衣装や棒は個人で管理。戦後から1970年頃には公民館が新築されると、区が管理するようになった。
衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
修繕や制作、購入は伝統芸能保存会が独自の予算で行い、衣装などの修繕や裁縫などは区内で技術を持ったご婦人方にお願いし、棒や用具については、専門業者へ発注している。
棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
戦前は主にクルチ(琉球コクタン)やデイゴの木が主流。戦後は、島外あるいは輸入木材(本土産杉や樫の木、アメリカマツやアピトン)その時期にある材質を使用。

音楽

楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
ホラ(ホラ貝)、ドラ(鐘)、大太鼓や締小太鼓などで演奏。カリー太鼓は青年たちが行い、楽器の演奏は演者が行う。
楽曲(戦前、戦後の変化)
楽曲は無く、棒が打ち合う瞬間に大きくたたいたり、指笛で盛り上げる。

課題

支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
青年会活動など、若年層の部落行事への参加が減少し、各芸能などを継承するための人員が少ないため、棒術の型が崩れて行く可能性があり、今後の課題として、若年層へ継承していくための、行事やイベント(自治会まつり)など、演舞する機会を増やすように自治会で取り組みたい。
コロナで影響を受けたこと
コロナが始まってから、なかなか行事を催すことがなく、若年層への継承が懸念される。

記録

文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
■文献(残波の里・第1巻)