調査票結果
- 地元での呼び方
- 長浜棒
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- 1足切り:右手斜め上に振り上げ、左から相手の足を払う。2大割:上段高く振り上げ、相手の頭上眉間に打込む。3ふす技:相手のへそを突く技。4ウービ切り:相手の腰ガマクを切る。5カヂ切り:相手の肩を打ち落とす技。6突手:左手先に相手の股間を突く。7うら切り:上段で棒を一回振り回して、相手のウラから打込む。
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■型の演武(舞)がある ■対面での打ち合い等がある
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- 自治会の行事(生年合同祝・役員歓送迎会・敬老会)のある毎に演じられていたが、最近では平成31年(2019)1月の亥年生年合同祝、9月の敬老会にて演武を披露。同年、地域伝統芸能保存事業として映像記録(DVD)を作成。 40年前程前より不定期に読谷まつりや読谷村民族芸能祭にて演武を披露。
- 上演の場所
- 長浜公民館、読谷まつり会場他
行事の目的・由来・伝承
- 武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
- 琉球王国時代、御殿勤めをしていた山内ウメーが首里赤坂の地名にちなんだ「赤坂棒」と「山内暗夜」を長浜の人々に指導した。また明治時代、津堅島から津堅繁多小ウスメーが「津堅棒」「砂カチ棒」「カジチリ棒」を、浦添から浦添カントーが「浦添小湾ディー」を指導。沖縄中にその名をはせた二人の武術者が相次いで長浜を訪れた為、長浜の棒術熱は一気に高まり、いわゆる長浜棒の隆盛期をむかえたといわれている。
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- ・長浜伝統芸能保存会、自治会長が保存会長となり、棒術部長が演者をまとめる。(各演目・伝統芸能毎に部会がある) ・長浜自治会員すべてが会員となり、指導は部長を中心に数名の青年が行っている。
- 組織の特化
- ■武術の部分に特化した組織がある
- 各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ・伝統を継承するために自治会が主体となって保存会を設立し、地域内で継承者の育成に努めている。 ・自治会から年間3万円助成。指導者はボランティアで、経費は用具の修繕や、集落以外で演じる際のお茶代や弁当代に活用。
- 指導者の氏名(さかのぼるまで)
- 當眞氏、新垣氏、山内氏、山根氏
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- 男性自治会員であれば誰でも出演可能。小学生のみ女子も出演可能。
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 催し物やイベントの出演依頼があった場合、2か月前から週2回程度練習を行う。
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 長浜公民館
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- 構成は、最初にグーヤー巻という集団演技で始まり、次に長刀持った二人が「先ふい」、その後13組の組棒の演技、そして最後にホラ、カネ、スリー太鼓でその演技を終了する。グーヤー巻とは、グーヤー(学名・高瀬貝)という貝の形を型どる集団演技のことで「サァ、サア」というかけ声で左巻に円陣を組み、その後右巻に円陣を解いていく。
- 集落以外での披露の有無
- ■集落以外(市町村内)で演武(舞)したことがある ■公民館やホールなど(市町村外)で演武(舞)したことがある
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- 読谷山花織のウッチャキ(打掛)、6尺棒はサージ(頭巾)を巻き、3尺棒はハチマキを巻く。 ドラ、鐘、太鼓、ほら貝。
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- 公民館にて保管
- 衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
- 棒は材木店にて購入
- 棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
- 戦前はクルチ、戦後はラワン材を使用
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- ドラ、鐘、太鼓、ほら貝
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- 特にないが、ドラ、鐘、太鼓、ほら貝、「イヤ、イヤー」の掛け声がある。
課題
- 支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
- 継承者不足が課題である。 コロナの中で、行事自体が開催できない状態いて、練習もままならない。
- コロナで影響を受けたこと
- 2020年度より3年間コロナ禍で人が密集する行事を中止しているので、棒術を披露する機会がなく困っている。
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■映像記録


