調査票結果
- 地元での呼び方
- フェーヌシマ
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- ・フェーヌシマは、棒を振り回したり、打ち合う「棒巻」。空手の型の「手」と 「ダッチムッチー」がある。 ・「ダッチムッチー」は、二人組み合わせで相手の股の間に頭を入れて腰を抱えて抱き合うようにして後方に回転する。
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■対面での打ち合い等がある、 ■その他(演武(舞)の中で武術的所作がある。)
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- ・神行事として12年に1回(寅年)、旧暦6月15日に行われる「北谷大綱引き」のミチ(道)ジュネー、スネーの演目として演んじられる。 ・現在は、字北谷郷友会のニングヮチャー(旧暦2月2日)や、学事奨励会で演武(舞)される。
- 上演の場所
- ・戦前は、「北谷大綱引き」のミチジュネーやスネーとして、旧字北谷集落内の海側に位置した北谷馬場。・戦後は、「北谷大綱引き」の開催会場となる、1974年(昭和49)・1986年(昭和61)は、「米軍基地ハンビー飛行場返還跡地」、1998年(平成10)は、「安良波公園」、 2010年(平成22)は、北谷陸上競技場。
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- ・フェーヌシマは、13年間の風気返し〔方言:フーチガエシ(無病息災のこと)〕の神行として、旧北谷村(北谷間切:現在の北谷町と嘉手納町)の字北谷だけに伝わるものである。 ・由来については、不明である。但し、宜野湾間切普天間(または古老の話で宜野湾)から入ってきたと言う人と否定する人がいる。
- 中断・再興の時期とその理由
- ・300年の歴史があると言われている。「北谷大綱引き」で、フェーヌシマが演じられてきたが、1938年(昭和13)に日中戦争が本格化した中で、簡素化した祭りの演目としてミチジュネーでフェーヌシマが演じられた。以後、太平洋戦争により演じられることが無くなり、終戦後の1962年(昭和37)に離散した住民が帰村した祝いで演じられた。1974年(昭和49)に「北谷大綱引き」が復活するまでは、演じられることは無かった。
- 武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
- 由来については不明である。
当該行事における意味
- 行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
- ・フェーヌシマは、「北谷大綱引き」のミチジュネーやスネーとして演武(舞)される。1986年(昭和61)の大綱引までは、ミチジュネーとは別に、メンダカリ、クシンダカリの2組に分かれて、雄綱、雌綱の側で演じていた。 ・1998年(平成10)の「北谷大綱引き」では、2組編成できなかったため、1組で雌綱の最後尾から雄綱の最後尾に向かって、単独でスネーした。 ※北谷出身の伊礼肇が衆議院議員に当選したときの祝賀会で演じられた。 ・戦後は、1950年(昭和25)に、戦争で離散していた住民が北谷村に帰村した祝で、フェーヌシマが北玉小学校で演じられた。 ・1974年(昭和49)の「北谷大綱引き」の復活で、フェーヌシマが演じられる。その後、1986年(昭和61)、1998年(平成10)、2010年(平成22)の「北谷大綱引き」で演じられる。 2022年(令和4)は、コロナウィルス感染症のまん延により「北谷大綱引き」は中止となった。
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- ・旧字北谷郷友会 ・1987年(昭和62)に 「フェーヌシマ保存会」 が組織され、会長1名、副会長2名、理事9名、監事3名、会員9名 計24名で組織されている。会員は、字北谷郷友会会員で構成されている。
- 組織の特化
- ■武術の部分に特化した組織がある ■その他(1987年(昭和62)、フェーヌシマ保存会を立ち上げ継承に取り組んでいる。)
- 各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ・1987年(昭和62)に 「フェーヌシマ保存会」 、「旗頭保存会」を立ち上げ継承育成の役割を担っている。 ・字北谷郷友会の女性部については、衣装製作の役割も有している。
- 指導者の氏名(さかのぼるまで)
- ・戦後、末吉氏、新垣氏の両氏によって復活し、その後、上間氏、末吉氏に引き継がれる。 ・栄田氏、上間氏は、鉦打ちの指導を行っている。
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- ・戦前:演技者は、字北谷出身の壮・青年(17~18歳から30代前半まで)で構成。年齢に制限はなかったが、希望者で体格の良い者を選んだ。 メンダカリ(前村渠)、クシンダカリ(後村渠)の2組。各組に鉦打ち1人、演技者12~13人で構成されていた。 ・戦後:北谷大綱引きでは人員確保が難しく、メンダカリ(前村渠)、クシンダカリ(後村渠)の2組出身地に関係なく2組に分けた。 1998年(平成10)では、15歳から43歳までの字北谷出身の男性。鉦打ち2人、演技者22人の 計24人。4人1組で構成するので4の倍数となる。メンダカリ、クシンダカリの2組に編成することができないため、合同で演技した。現在は、小柄な方で動ける方を選んでいる。
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ・戦前は、(大綱引きの)10日前ぐらいから、「メンダカリ」、「クシンダカリ」に分かれて練習が開始された。 ・1998年(平成10)の「北谷大綱引き」では、8月16日(旧暦6月15日)の本番に向けて、6月から練習が行われた。
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ・戦前は、ムラヤー(現在の公民館にあたる)にて行っていた。 ・戦後は、町内小学校の体育館等で週3回(月・水・金)の1時間程度行った。
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- ・1986年(昭和61年)の大綱引きで、メンダカリ、クシンダカリの2組に分かれ、雄綱・雌綱の側で演武(舞)を行った。1998年(平成10)の大綱引きでは、2組で編成することができず1組で雌綱の最後尾から雄綱の最後尾に向かって演武(舞)(スネー)を行った。演武(舞)はフェーヌシマ棒を振り回したり、打ち合う「棒巻」、空手の型のような「手」、「歌」、二人組み合わせで相手の股ぐらに頭を突っ込み、相手の腰を抱え、このまま後方に回転していく技 「ダッチムッチー」 の4つからなる。ダッチムッチーは、1950年(昭和25)以後は、演じられていない。
- 集落以外での披露の有無
- ■集落以外(市町村内)で演武(舞)したことがある(北谷町の「ちゃたんシーポート祭り」、ちゃたんニライセンターの事業として演舞等) ■公民館やホールなど(市町村外)で演武(舞)したことがある(演舞依頼を受け、国立組踊劇場、首里城、国際通り(ミチジュネー)等で演舞を行う) ■その他(字北谷郷友会の敬老会・学事奨励会で演武(舞)を行う。)
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- ・頭には赤毛のかつら(方言名:カントゥーまたはカンター)は、キジムナーを連想させると言われる。)を被り、上下黒の空手着を着け、その上から袖無しの陣羽織のような法被(はっぴ:一説には、方言名:ハウイ)を羽織り、さらに、その上に腹掛(はらかけ、方言名:クブシー) を掛ける。脛(すね)には脚絆〔きゃはん、模様は白黒の縦縞(たてじま)〕を巻き、黒の地下足袋を履く。 ・陣羽織のような法被の縁取りの色は、集落を分ける名称の「メンダカリ」は「紫色」、「クシンダカリ」は「黄色」で演じられてきたが、1998年開催の時に法被の縁取りの色は「メンダカリ」の「紫色」に合わせたことから、現在まで続いている。
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- ・衣装・棒・その他用具の管理は、各自で保管。 ・赤毛のかつら(方言名:カントゥーまたはカンター)は、戦前は、マニラ麻(方言名:フィリピンウー)や 芭蕉(方言名:シマウー)の繊維を赤く染めた物を用いた。1988年:オレンジ色の紐を使用し、顎紐を1本から2本にして安定するように工夫している。現在も同様。
- 衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
- ・衣装の上下黒の空手着は、市販のものを購入する。衣装を製作するのは、赤毛のかつら(方言名:カントゥーまたはカンター)、法被・腹掛(方言名:クブシー)を郷友会の婦人部が製作する。
- 棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
- ・フェーヌシマ棒:約126㎝の棒、上端に 金属輪(方言名:ジョガニ)〔3本(直径5.5㎝)を交差するように取り付けてある。棒の材料は、堅くてよく撓(しな)る樫(かし)を用いている。 棒の素材は、戦前は、北部から取り寄せた樫で作った。1988年はスポーツ店に注文した。長さは、演技者の体格にあわせて、1988年開催時から106㎝より20㎝長くした。上端の金属輪(鉄製)をステンレス製にした。(前回まで金属輪や留め具が外れることがあったため、補強されている。)
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- ・鉦(かね):真鍮製の銅鑼(どら)、方言名では「ドラガニ」と呼ぶこともある。直径30㎝程度。鉦を叩く棒には、とくに名前はないが、バチと呼んだりしている。素材は、現在は塩ビパイプを使用している。
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- ・鉦の音(リズム)に合わせて演舞し、歌を歌う。歌詞の意味は不明。
課題
- 支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
- ・演舞の場所(発表の場)の確保と、広報活動の支援。・継承者の確保が大きな課題である。
- コロナで影響を受けたこと
- ・2022年(令和4)に行われる予定であった、 「北谷大綱引き」が中止になり、フェーヌシマの演武(舞)も行うことができなかった。
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■文献 ■映像記録 (『北谷大綱引き』の記録映像、北谷町自主文化事業の公演映像、首里城祭の演舞映像・字北谷郷友会のニングワァチャー・敬老会での演舞映像等) ■古老の記録、メモ(1988年(平成10)の北谷町教育委員会発行の『北谷の綱引き』で旧字北谷の方々への聞き取り調査の記録) ■プログラムや式次第(北谷大綱引き開催のパンフ、広報チラシ、式次第、 フェーヌシマ保存会チラシ等。) ■その他(「北谷大綱引き」の記録写真) ・『北谷町史』第三巻 資料編2 民俗下 発行年月日:平成6年2月 発行者:北谷町役場(編集 北谷町史編纂委員会)写真掲載頁:55p、56p ・『北谷町の綱引き』北谷町文化財報告書 第19集 発行年月日:平成12年3月 発行者:北谷町教育委員会 文化課 写真掲載頁:巻頭写真2p、54p、55p、62p78p ・『北谷町の自然・歴史・文化』 発行年月日:平成8年3月 発行者:北谷町教育委員会 写真掲載頁:94p


