調査票結果

年中行事名
■その他(獅子舞 ※北中城村指定無形文化財)
市町村名
北中城村
行政区
喜舎場(きしゃば)

武術的身体表現の形態

武術的身体操作・表現の形態
●獅子舞は、はじめに一人の男(ワクヤー)がまりを両端に結びつけたひもを首にかけてまりを振りながら獅子を誘い出して始まる。獅子の胴体には二人の男がはいり、三線、太鼓、ドラに合わせて獅子舞を演じる。(『北中城村の文化財』北中城村教育委員会)

時期・場所

行事が行われる期日(旧暦)
●旧盆後の十七日の午後四時頃から。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
上演の場所
●遊び庭の舞台。喜舎場の舞台は、遊び庭に石垣で囲った常設の舞台で中は芝になっており、その上にむしろを敷いて躍らせた。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)

行事の目的・由来・伝承

行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
●由緒、伝来については十分に分かっていない。獅子舞の目的は、村に流行病が入らないようにとの厄払いといい伝えられている。(『北中城村史 第二巻 民俗編』) ●悪霊を払い、五穀の豊饒、集落の発展を祈願して演じられる。(『北中城村の文化財』北中城村教育委員会)

組織・指導者・伝承方法

各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
●獅子舞の運営は、村の東前(アガリメー)、東後(アガリクシ)、西前(イリメー)、西後(イリクシ)の四か所から年齢二十歳~四十歳ぐらいまでの働き盛りの者を一名ずつ獅子人数(シーシニンジュ)として選び、その人たちに獅子の演技はもちろん、すべての責任を持たせた。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)

稽古の仕方、期間

稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
●獅子人数(シーシニンジュ)は、七夕の日から早速稽古に入る。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
●稽古の場所は、最初は龕ヌ屋毛(コーヌヤーモー)でやり、十三日からは遊び庭に移って稽古をした。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)

演舞(武)構成

演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
●獅子の技は、鞠喰い、立ち上がり、横転(クルビ)の三つが主なものである。鞠喰いはあらかじめ舞台に紐のついた鞠を置いておき、それを獅子が喰わえて振り回す技である。立ち上がりは、獅子頭と前肢を受け持つ役を、胴と後肢の役が肩車にして立ち上がる。(『北中城村史 第二巻 民俗編』

衣装・道具

衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
●旧盆前の七夕に村では旗すがしという行事がある。その日は、村の根屋である仲間家から二歳頭(ニーセーガシラ)八名が旗頭と衣装を取り出し、虫干しをするのである。その日に獅子人数四名も加わって、獅子を虫干しした。この村では、獅子は神としての信仰はされていないが、根屋から取り出す時には、線香と酒を供え手を合わせてから虫干しをした。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
●獅子の縫いぐるみの材料は、頭(かしら)は梯梧(でいご)の木で彫り、胴は綱で体形と四肢を作り、それにシマウーと呼ぶ糸芭蕉の繊維を毛にした。足は素足であった。戦前使用した獅子の縫いぐるみは、戦災で無くなり、戦後は他の地域の獅子を参考にして仕立てたものである。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)

音楽

楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
●伴奏楽器は、銅鑼一名、締太鼓一名、がく(チャルメラ)一名、三線一名である。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
楽曲(戦前、戦後の変化)
●チャルメラの音をのどかに鳴らして獅子が登場し、銅鑼と締太鼓の囃しによって運動する。三線は「笠の段」という曲を最初から、最後まで弾いた。演技は五分ぐらいで終わる。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)