調査票結果
- 地元での呼び方
- フェーヌシマ
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- ●先に金環をつけた棒を打ち合ったり、振り回して威かくしたり、「ハウー」と奇声を発したり、また大きく割って飛び跳ねて野性味を出しておどる。(『北中城村の文化財』北中城村教育委員会)
●前半:南島歌 幕内で三線が南島の曲を弾き始めると、舞台下手から踊り手八人が、ハウー、ハウーと奇声を発しながら出てゴーマチ(輪)を作る。歌が始まると、歌に合わせてゆっくりした振りで踊り始める。両方の掌を拳状に曲げて、両手で払う仕種をしたり、両手を交互にぐるぐる回したりする。
後半:工三工節 工三工節に変わると、一の棒、二の棒、三の棒、四の棒の順に連続して棒の打ち合い、跳躍と激しい演技がある。特に三の棒のミーヌジ(目貫き)、カマチワイ(頭割り)、四の棒のチンシワイ(膝割り)などは、緊張を要する危険な組み手である。これらの演技を済ませると、再びホウ、ホウと奇声を上げながら上手に退場する。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- ●踊られる時期は一定していなが、昔は旧盆の七月遊びと称した盆の前日の十四日と翌日の十六日であった。現在では八十八歳の長寿を祝う合同祝いのときや、字外から文化財として招待される公演のときなどである。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
- 上演の場所
- ●村の中央にある島根殿の広場のバンク(仮設舞台)であった。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- ●いつ頃熱田に伝わったか不明。(『北中城村の文化財』北中城村教育委員会)
●伝来について、はっきりしたことは分からないが、昔、美里村知花から来た籠作りが村人に教えたという伝承がある。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
●目的は七月遊びで豊作祈願をすることや、島根殿への奉納である。(『北中城村史 第二巻 民俗編』) - 中断・再興の時期とその理由
- ●明治十七年頃に演じられたのを最後に上演が途絶えていた。大正四年大正天皇御代典記念行事が盛大に行われることを機会にその復活を計画し、上演した。その後は、戦争などのためやむなく中断したこともあったが、熱田の誇る芸能として絶えることなく現在まで続いている。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
- 武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
- ●熱田では美里間切知花から伝わり、津堅島の棒の型を取り入れて独特な踊りに作り上げたと伝えられる。(『北中城村の文化財』北中城村教育委員会)
組織・指導者・伝承方法
- 指導者の氏名(さかのぼるまで)
- ●現在たどれるのは、 今から百五十年ほど前に生まれ大正四年頃まで指導した新屋福元(ミーヤーフクムトゥ)のタンメーまでである。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- ●演技者は、演技が非常に荒っぽく、間違えると怪我をする恐れもあるので、二十歳後半の冷静な青年を選んだ。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- ●踊りは手踊りと棒踊りの二種があり、最初に歌三線に合わせて八人で手踊りを演じ、その後、四人一組に別れて棒踊りを演じる。手踊りのときは頭に頭巾を被り、棒踊りのときは麻であしらったカツラを被る。(『北中城村の文化財』北中城村教育委員会)
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- ●カンジムンと呼ぶかつら頭巾は、細かく割いた竹皮で、頭の大きさの荒目の籠を作り、それに髪の毛として芭蕉の繊維を緑色に染めて作った。演技の際には、まず色を統一した風呂敷を直に頭に被りその上からカンジムンを被り、その上から大きめの鉢巻きをし、後ろに締める。服装は、上衣が白色の半袖シャツ、下衣も白色の長ズボンである。脛には白、黒の縦縞の入った脚絆を巻き付け、足は裸足である。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
- 棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
- ●手に持つ棒は、南島棒と呼ぶ直径五センチ、長さ約一メートル三0センチの堅牢な木製のもので、上端には直径六センチぐらいの特注の鉄の輪を取りつける。この鉄の輪が演技中にがらがらと威嚇的な音を出すのである。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- ●音楽は、三線を伴奏にする。三線は普通一丁であるが、ニ、三丁でも構わない。鉦鼓打ちが一人である。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- ●三線でうたわれる歌は、“タウチュンナータイ タウチュンナータイヨ チョウオーヨーティメウターン イエチョウハアタイ フーテーヨーフィヨ フィタイフィタイ チンサーン チントーンヨーオーサイ チューサイヨー スイナー”(歌意不明)。(『北中城村の文化財』北中城村教育委員会)
●前半は南歌、後半は工三工節(クウサンクウブシ)。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)


