調査票結果
- 地元での呼び方
- 棒総巻(ぼうすうまち)
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- ・奇数組、偶数組が一列縦隊になり会場内を両サイドに分かれて周回する。総巻きとハジリ棒と呼ばれる組み手で構成される。中央付近で交差する時、右側縦にかまえている棒下方をお互い相手側に少し出しすれちがう時にお互い棒をあてカチカチ音を出して進むという。 ●青年たちが各自六尺棒を持ち、うず巻き状に巻きしめ、また解いていくという見事な集団演技と、ドラとホラ貝のリズムに合わせた武術的な激しい棒の打ち合わせ、掛声が迫力をもって観る人を圧倒する。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■対面での打ち合い等がある
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- ・特に決まってはいない。 ●村遊びの中で行うので毎年行うことはなく、何か大きな祝事の時に行う。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
- 上演の場所
- ・公民館隣の中央公園の広場。 ●村の遊び庭で、そこにカイヤ(仮設舞台)を設けた。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- ・島袋の総巻きは、村遊びの中で行うので毎年行うことはなく、何か大きな祝事の時に行っている例がある。昭和3年の昭和天皇即位式、昭和15年紀元2600年祭、昭和24年龕(がん)の仕立て祝い、昭和53年第1回北中城村文化まつりで行われており、その後は平成21年、平成29年に島袋まつりで行われた。 ●約二百年前に首里西の平の仲村親雲上が伝えたといわれている。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
- 中断・再興の時期とその理由
- ・特になし。 ●昭和十六年来途絶えていたが、一九六三年古老の記憶により復活させたもので今日に至っている。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
- 武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
- ・島袋の棒総巻は、今から330年前に武士中村が首里の「西の平」から習い島袋村の若者の精神鍛錬と相互扶助の精神を育む目的ではじめたと著作物で紹介される。
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- ・島袋民俗芸能保存会を中心に青年会、壮年会が協力、指導は保存会会員が行う。自治会の広報、公民館だよりを通して参加希望者を募集する。参加人数は約50人前後。
- 各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ・字島袋民俗芸能保存会は、北中城村指定無形民俗文化財の「赤木名節」と「棒総巻(ぼうすうまち)」を永久に保存する為、その普及活動と後継者の育成に努めることを目的とする団体。自治会から保存会活動の支援金として年間2万円、北中城村教育委員会からは申請に基づき、年間8万円が提供される。
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- ・出演希望者がいれば、中学生から参加させていて、上は60歳前後まで。 ●演者は村の十六歳から三十五歳ぐらいまでの青年である。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ・棒総巻実施日の約半年前から週1回のペースで練習をやっていた。
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ・公民館のホールで練習。
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- ・奇数組、偶数組が一列隊になり、会場内を2手に分かれ、長刀2名を先頭に3尺棒2名、次6尺棒と続き、ホラ貝、ドラ鐘、鉦子、大太鼓に合わせて1歩1歩前進していく。中央付近で交差する時、お互い向き合って、一度「エイッ」と言ってうち込み、又、前進する。後半一人ずつ右端から中央に向かって走って行き、気合と共にうち込み、左端に向かって走って退く。最後に数組がハジリ棒をやって終了。 ●構成は二班で奇数組と偶数組に分かれる。奇数組は先頭からサチワイ(先導役)一名(三尺棒)、長刀一名、以下六尺棒を持った棒人数が続く。偶数組は三尺棒を持ったサチワイ一名、ティンベー一名、以下六尺棒を持った棒人数大勢が並ぶ。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
- 集落以外での披露の有無
- ■集落以外(市町村内)で演武(舞)したことがある
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- ・衣裳は、空手着(上・下)を使用。頭には黒のサージを巻く。腰には黒の帯、足には、白黒縦縞の脚絆。 ●スガイ(支度、扮装)は、頭には鉢巻き、上衣は半袖のワイシャツ風の白の上衣、下衣は白のズボン風の下着、上衣の上から黒地にあ(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- ・衣裳・棒・長刀などは、保存会が管理する。
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- ・ホラ貝のプープープーと吹く音に合わせて大太鼓・ドラ鐘・鉦子が連打し、それに続く。大太鼓1名、ドラ鐘1名、鉦子約3名、ホラ貝約4名、壮年会を卒業した人達が担当する。 ●囃し方は法螺貝一名、銅鑼打ち一名である。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- ・特になし。
課題
- 支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
- ・参加希望者が少なく、人集めに苦労する。
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■映像記録


