調査票結果
- 地元での呼び方
- 赤木名節(アカキナブシ) ※北中城村指定無形民俗文化財
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- ・赤木名節は、琉球王朝時代から伝わる二才(ニーセー)踊りで、1番から4番までの振りは空手の異なる受けの型を取り入れている勇壮で活発な踊り。 ●踊りは二歳踊りで、特徴は空手風の勇壮、活発な振付にある。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- ・1月の新年会、9月の敬老会、10月の島袋まつりと北中城まつり。 ●戦前から村芝居で演じられ、戦後も字の行事などで演じられている。(『北中城村の文化財』北中城村教育委員会)
- 上演の場所
- ・公民館隣りの中央公園広場、公民館ホール。
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- ・琉球王府時代から伝承されてきたとされる貴重な伝統芸能「赤木名節」を永久に保存する為、戦前は村芝居で、戦後は字の行事などで演舞し、その普及活動と後継者の育成に努めている。 ●琉球王府時代から伝承されてきたと考えられている。(『北中城村の文化財』北中城村教育委員会) ●島袋には、琉球王朝時代から伝承されたと思われる「赤木名節」踊りがある。この村に何時ごろ、誰が習ってきたのかは、はっきりしない。現在伝承者としても最も年長者の比嘉巌(大正十二年生)によると首里の踊奉行から各地のシティ(上手な人)たちが習ってきた、と先輩は話していたという。比嘉らは、喜納亀(屋号仲本)と比嘉加那助(屋号伊礼小)から教えられた。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
- 中断・再興の時期とその理由
- ・戦後しばらくは途絶えていたが、1978年の北中城まつりへの出演をきっかけに復活。
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- ・字島袋民俗芸能保存会(会員15人)
- 各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ・字島袋民俗芸能保存会は、北中城村指定無形民俗文化財の「赤木名節」と「棒総巻(ぼうすうまち)」を永久に保存する為、その普及活動と後継者の育成に努めること目的とする団体。自治会から保存会活動の支援金として年間2万円、北中城村教育委員会からは、申請に基づき、年間8万円が提供される。
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- ・戦後しばらく途絶えていた赤木名節、1978年の北中城まつりで復活してからは、2人1組で演舞をしてきて、踊り手が70歳を越えた頃、世代交代し、踊り手は3名に、そして現在は6名の踊り子が演舞している。
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ・演舞日の2ケ月前から、週1回で練習をする。
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ・公民館ホールの舞台で練習をする。
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- ・1番から4番まで振りは異なり、空手の受けの型が振り付けされている。
- 集落以外での披露の有無
- ■集落以外(市町村内)で演武(舞)したことがある
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- ・頭に請け鉢巻、黒の着流の衣装、帯は前結び、足は白黒縦縞の脚絆、白足袋を履く。 ●衣装は黒紋付に帯は前結びで、白黒の縦縞の脚絆、頭には白い手巾(ティーサージ)を前結びに結ぶ。(『北中城村の文化財』北中城村教育委員会) ●支度は本来は琉髪のカタカシラ、頭に請け鉢巻き、黒の着流しの衣装、帯は前結びをし、脚は白黒の縦縞の脚絆に白足袋を履く。(『北中城村史 第二巻 民俗編』)
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- ・衣裳の管理は、会員各個人で保管している。
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- ・地方6名。
課題
- コロナで影響を受けたこと
- ・2020年から2022年まで、すべての行事が中止になり、演舞の機会が無くなった。
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■映像記録


