調査票結果
- 地元での呼び方
- 行事名:敬老会 披露する演目として「赤木名節」。赤木名節と書いて「アカキナブシ」と呼んでいる。
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- 赤木名節は男性によるニーセー(二才)踊りで、空手風の踊り。赤木名節は近隣の村にはない演目で独特なものである。
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■その他(空手風の舞踊)
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- ○開催期日:敬老会(9月17日) ※演目の一つとして披露 ※本年度はコロナ禍のあとで、4年ぶりの披露。コロナ以前は島袋の新年会や敬老会、北中城村まつりなどの行事で披露していいた。 ○島袋の村遊びは、定期的に行うマール遊びではなく、何か大きな記念行事の時に行う方法であった。例えば、昭和4年の昭和天皇即位記念、昭和15年の紀元二千六百年祭、終戦後昭和24・25年頃の龕の仕立て祝いという場合である。期日は旧暦八月か九月頃に二日間行ったという。〔『北中城村史 第二巻 民俗編』 〕
- 上演の場所
- 公民館ホールの舞台
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- ※提出済みの調査票参照/浦添市前田にも戦前までは赤木名節が踊られていたとの報告があり、また伊江村西江前には南島踊りの赤木名節が今でも踊られている。〔『北中城村史 第二巻 民俗編』 〕
- 中断・再興の時期とその理由
- ※提出済みの調査票参照
- 武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
- 赤木名という地名は奄美大島の笠利町にある。琉球王府時代には王府の役所があり、栄えた村であった。その村に鳥小(トゥイグヮー)と呼ばれるほど歌の上手な遊女がいた。その遊女と首里王府から派遣された役人の交情を村人たちが歌ったものと島袋では伝えている。〔『北中城村史 第二巻 民俗編』 〕
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- ※提出済みの調査票参照
- 組織の特化
- ■武術の部分に特化した組織がある(保存会設置)
- 各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ※提出済みの調査票参照 青年会は小学生から20代くらいまで幅広い世代が加わっているが、民俗芸能保存会は青年会とは別に組織されている。保存会は青年会よりも上の年代からも広くメンバーがいる。
- 指導者の氏名(さかのぼるまで)
- ※提出済みの調査票参照/提出済みの調査票では踊り手6名となっているが、今回の敬老会では踊り手は4名だった。
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- ※提出済みの調査票参照
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ※提出済みの調査票参照
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ※提出済みの調査票参照
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- ※提出済みの調査票参照
- 集落以外での披露の有無
- ■集落以外(市町村内)で演武したことがある 〔平成22年には国立劇場おきなわでも披露した〕
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- ※提出済みの調査票参照
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- ※提出済みの調査票参照
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- ※提出済みの調査票参照/提出済みの調査票では地方(謡)6人となっているが、今回の敬老会では地方(謡)は4人が務めていた。なお、赤木名節の歌詞は『北中城村史 第二巻 民俗編』に掲載されている。
課題
- コロナで影響を受けたこと
- ※提出済みの調査票参照/コロナ禍の影響で4年ぶりの披露となったので、演武者は感を取り戻すのが大変だった。今回の出演でも久々なので皆緊張していたという。最近まで十分な練習ができなかったため、これからはコロナも落ち着いてきたので、定期的に練習をするように計画を立てているところである。
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■文献 北中城村史編纂委員会編『北中城村史 第二巻 民俗編』 北中城村役場 平成8年〔545頁~619頁〕 ■映像記録


