調査票結果

年中行事名
■豊年祭(綱引きの後で「棒使い」とよばれる棒術を行う)
■シヌグ・ウンジャミ
市町村名
国頭村
行政区
地元での呼び方
ウイミ行事は無病息災と五穀豊穣を神々に祈願する行事で、旧盆のあとの最初の亥の日の一日目をアラウイミとする。ウイミ行事に、シヌグ行事(3日間)とウンジャミ行事(2日間)あり、隔年で行なう。
さらに、シヌグ行事は、フーヨーサレー行事とビーンクイクイ行事で構成される。集落内の悪霊払いがフーヨーサレー行事で、集落内の長老をウヒ(桶)に乗せて長寿祈願を行うのがビーンクイクイ行事。
ビーンクイクイ行事は、那覇の奥郷友会の参加に配慮し、直近の土日に開催される。ビーンクイクイ行事で、空手や棒術の演武者が先導を務める。

武術的身体表現の形態

武術的身体操作・表現の形態
ビーンクイクイの長寿祈願の行事で一行の先頭に、空手を演じる方2人、棒術を演じる方2人がいる。「ティー」と「ボー」(歩きながら、道ジューネーの先頭を務める)
※集落で一番長老(男性のみ。桶長老/戦前は慶応2年生まれの屋号「徳門仲」の金城定敬を担いだことの証言まで遡れる。チョウロー(長老)昭和12年生が対象。昭和17年)奥での最高年齢者の男性を飾り付けした桶「ウヒ」に乗せ、若衆(「カタミヤー」と呼んでいる。戦後間もない頃は青年だけでできた)担ぎ、反時計回りに円を描きながら練り歩く。その際に、「ビーンクイクイ、ユイヤサー・・・」のかけ声で担ぎあげた桶を天に突き上げなら練り歩く。男性のみで担ぐ。女性はウスデークで迎える。
武術的身体操作・表現の分類
■型の演武がある

時期・場所

行事が行われる期日(旧暦)
旧盆後の最初の干支(亥の日)を「アラウイミ」と呼び、シヌグ行事(3日間)とウンジャミ行事(2日間)を隔年で行う。「ビーンクイクイ」はシヌグの際に3日目に行う行事。
上演の場所
シヌグモーででは、「ビーンクイクイ」とかけ声をかけて、担ぎ手は「エイヤーサー」と樋をもちあげて、桶に乗った長老はウチワを高々とあげて、シヌグモーを3回廻り、アシャギマーへ向かう。行列は、空手の演武者2人を線先頭に、棒の演武者2人、サキトックイ1組2人、太鼓、ノボリ(無病息災、五穀豊穣、豊年満作)と長老を乗せたウヒ(桶)の前には長老たちと後方には参加者が列をなす。アシャギマーでは女性たちが、手拍子やパーランクでを打ち鳴らし、カチャーシーで迎える。一行はアシャギマーを3回廻って終了する。

行事の目的・由来・伝承

行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
・長老をウヒ(桶)に乗せ若者たちが担ぎ、「ビーンクイクイ」のかけ声をもって、若者達は、「エイヤーサー」とウヒを持ち上げる。
・ウヒに乗った長老は、ウチワを高々と上げ、シヌグモーを3回廻り、アシャギマーに向かう。
・行事の隊列は、空手の演舞(武)者2人を先頭に、棒の演舞(武)者2人、サキトウィクイ(酒壺)の担ぎ手1組2人、太鼓、ノボリ(「無病息災」、「五穀豊穣」、「豊年満作」)と長老を乗せたウヒの順番。
・ウヒの前方には、長老たちが、後方には参加者達が「ビーンクイクイ」とかけ声を出し、担ぎ手は「エイヤーサー」の応答で、ウヒを持ち上げる。
・1人、棒の演者4人、太鼓叩き1人、桶担ぎ8人、二列の隊列(20人程度)、隊列に意味があるのか。担ぎ手を交換するとか。
・アシャギマーでは、女性たちが手拍子やパーランクー(小太鼓)を打ち、カチャーシーを踊って出迎える。一行はアサギマーを3回廻ってビーンクイクイの行事の終了とする。
中断・再興の時期とその理由
戦後、生活改善運動の一環で、1952年頃廃止されたとされるが、1983年頃復活し、現在にいたる。
武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
トクジュウナーカ(徳門仲/金城家)の曾祖父が王国末期頃、首里へ奉公へ行った際に、首里で空手を学んできたと伝承され、その弟子達が、屋号「ミージ(新地)」や「ウンプラヤー(上ノ大屋)」、「キュウショウ(久昌)ヤー」のウンメー(お爺さん)たちに伝承された。それぞれの名前に因んでミージウンメークーサンク(空手・棒)、ウンプラヤーウンメークーサンク(サイ)、キュウショウウンメークーサンクー(棒)が得意だったという。戦後間もない頃まで、各ウンメーは行事等で空手、棒やサイの披露をしたという。山の中で修行した場所もあるという。

当該行事における意味

行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
コロナ禍の中で、中止等があり、2025年度がビーンクイクイの行事の年だという。

組織・指導者・伝承方法

組織
フーヨーサレー行事は朝、ヌンドゥンチでウグワン(祈願)を行い、「ヤマジー」組(奥川を挟んで西側)と「シバシジ」組(シバギーがある奥川を挟んで東側)の2組に分かれて数名(奇数か5人、7人)で、山に上り、「シドゥー」(責任者)は丑の人か未の干支の人が担う。シバヒ(神木)の取り扱い方がある。山から下りるときは、かけ声を掛けない。山の神々にウフガンを行う。「シバヒ」(和名:イヌガシ)の木は、悪霊払いをする神木と考えられており、小ぶりなものを選び、7回でゆすって折り倒す。ノコは使用禁止だという。出発前には、ヌンドゥンチでのウグヮン(お祈り)を行う。現在はノロなどの神人が不在のため、区長や書記が代理で行うという。
組織の特化
■武術の部分は専門の師匠がいる
各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
集落で一番長老(男性のみ。桶長老/戦前は慶応2年生まれの屋号「徳門仲」の金城定敬を担いだことの証言まで遡れる。チョウロー(長老)昭和12年生が対象。昭和17年)奥での最高年齢者の男性を飾り付けした桶「ウヒ」に乗せ、「カタミヤー」(担ぐ人)と呼んでいる。戦後間もない頃は青年だけでできた)担ぎ、反時計回りに円を描きながら練り歩く。その際に、「ビーンクイクイ、ユイヤサー・・・」のかけ声で担ぎあげた桶を天に突き上げなら練り歩く。男性のみで担ぐ。
指導者の氏名(さかのぼるまで)
トクジュウナーカ(徳門仲/金城家)の曾祖父→ミージ(新地)ウンメー、ウンプラヤー(上大屋)ウンメー、キュウショウ(久昌)ヤーウンメー
出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
戦前はビーンクイクイは、青年会で行なったが、現在は参加者の男性で行なう。

稽古の仕方、期間

稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
不明
稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
山の中に空手の修行をする場所があったという。場所の地名は●●

演舞(武)構成

演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
「クーサンクー」とい名称で手や棒、サイを用いた演武があったとされる。また、道ジューネを行ないながら行なったというが、現在の一般的なク―サンクーかは不明。
現在、郷友会の宮城さんと同級生がティーを行なう役だが、体調不良で今後どうなるかは不明。
集落以外での披露の有無
■集落のみでしか演武したことがない

衣装・道具

衣裳・道具の名称と着方
ゆかた、バサーギン(芭蕉布)をかけてもらい、ガンシナ(ハブイ(冠)ーわら縄で輪をつくり、チルマチハンダ(和名ナガバカニクサ、またの名をタイワンカニクサを巻き付けて、ミーバァンチャーギ(和名ゴンズイ)の花を差し込んでつくる)をかぶる。
衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
ゆかた、バサーギン(芭蕉布)をかけてもらい、ガンシナ(ハブイ(冠)ーわら縄で輪をつくり、チルマチハンダ(和名ナガバカニクサ、またの名をタイワンカニクサを巻き付けて、ミーバァンチャーギ(和名ゴンズイ)の花を差し込んでつくる)をかぶる。
衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
不明
棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
太鼓、パーランクー

音楽

楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
クーサンクー
楽曲(戦前、戦後の変化)
過疎化で、行事の存続に危機感を抱いている。

課題

支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
過疎化で、行事の存続に危機感を抱いている。
コロナで影響を受けたこと
隔年で行なうが、コロナ禍で中止になったりした。奥集落のチョウーロ(長老)が現在は昭和12年生だが、2025年の開催では、昭和17年生まれになる可能性がある。

記録

文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
■文献
『奥のシヌグ行事のしおり』(平成19年)
『字誌 奥のあゆみ』(昭和61年)