調査票結果

年中行事名
■その他
市町村名
大宜味村
行政区
字大兼久
小字名
おおがねく
ハニク
地元での呼び方
ゾーガリー

武術的身体表現の形態

武術的身体操作・表現の形態
クーサンクーと呼ばれる型の演舞がある。大まかな型の所作は決まっているが明確な型の決まりはなく、アシビの中で先輩から後輩へ見よう見まねで受け継がれている。
武術的身体操作・表現の分類
■型の演武がある

時期・場所

行事が行われる期日(旧暦)
旧盆の次の日
上演の場所
ナハンゾー(中の門)と呼ばれる集落内の海に向かう道路上
海に向かって拝み・奉納をする際に行われる。道沿いに演奏者が座って三線を演奏する。
海の方向へ向かって演武する。

行事の目的・由来・伝承

行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
大宜味に間切番所があったころ、大兼久の浜辺から出向した上納船の航海安全と来年の豊作祈願、首里への年貢の上納が完了した祝いであると伝わる。
大宜味村内の他集落にはまったく伝わっていないため、どのように伝播したのか詳細はまったくわからない
中断・再興の時期とその理由
不明
武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
なぜ空手の型が演じられるようになったのかはまったくわかっていない。

当該行事における意味

行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
古老の伝えや憶測では、上納の取り立てへの怒りや、負けん気などではないか、とのこと。

組織・指導者・伝承方法

組織
大兼久区公民館(区長及び役員)が主催する。
指導者の氏名(さかのぼるまで)
なし(アシビのような形で行うため、明確な指導者や練習があるわけではない。しかし、先輩たちのものを見よう見まねね行ってきたため、形には弱化のの変化があると思われる)

稽古の仕方、期間

稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
明確な稽古などはない。
稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
なし

演舞(武)構成

演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
ナハンゾーの道が海とぶつかるところ(現在は海岸の58号線を挟んで向かい側)に茣蓙を引いて集まる。三線と太鼓で開始を告げてから、御願をする。その後3曲演奏し、3曲目でクーサンクーと呼ばれる空手の演舞を行う。
形は正確に決まっているわけではないが、3曲目で空手の形を行うこと、先輩がやっていたものを覚えて見よう見まねで行うことは引き継がれてきた。
集落以外での披露の有無
■集落のみでしか演武したことがない

衣装・道具

衣裳・道具の名称と着方
頭に水にさらした藁を細く束ねてハチマキのように巻く。それ以外については現在衣装等は使用しない。
衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
現在は使用していない
衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
現在は使用していない
棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
現在は使用していない

音楽

楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
三線と太鼓を用いる

課題

支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
周辺でも大兼久集落しか行っていない特別なものなので大切にしていきたいが、過去の由来について詳細がわからず、また由来がわからない故に重要視されていないこと、さらに集落の高齢化のため参加者が年々少なくなっている。
コロナで影響を受けたこと
集落で集まることが難しく、御願だけを行っていた。もともと高齢化が進んでいたため、わずらわしさも相まってさらに参加人数が減ってしまった。

記録

文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
■映像記録
浦添てだこ祭に出演した記録が行政で保管している可能性あり、1992首里城正殿復元の際の杮落し公演で戦後活躍された先輩方が演舞している
■古老の記録、メモ
昭和55年の浦添市史担当事務局編の「前田棒について」は前田出身の古老の記録
■その他
村史編纂室が発行した大宜味村史民俗偏、大兼久誌などにゾーガリーそのものについては短い記載があるが、空手の型についてなどの詳細内容は記載されていない