調査票結果
- 地元での呼び方
- 謝名城の豊年祭
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- 長者の大主の中で、空手の型を奉納する
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■型の演武がある
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- 昭和30年代頃までは毎年行われたが、現在は隔年で行われれる。また元は旧暦の8月8日から11日までで行われていたが、現在は十五夜の頃を中心に新暦の9月または10月に行われている。
- 上演の場所
- 現在はクランマー及び公民館舞台 もともとは祝女家の屋号「ミーヤー」(新家)で奉納した。
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- 神をもてなす奉納踊りとして行われた。現在原形に近い豊年踊りは明治頃から始まった。 その後一旦途絶え、大正13年に現在の形に復活した。明治以前については不明である。
- 中断・再興の時期とその理由
- 明治から大正の間の中断について、なぜ中断したか現時点で詳細は明らかになっていないが、その後大正13年(1924年)に復活し今に至る。またその後1961年に一度公民館が火事になり、1972年に復活するまで中断したとのことである。
- 武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
- 大正13年に再興される以前について、演舞があったかどうかは現時点不明。
当該行事における意味
- 行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
- 長者の大主の中の親雲上が披露するものとして行われる。
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- 豊年踊り実行委員会
- 指導者の氏名(さかのぼるまで)
- 大正13年に寒川芝居の玉城金三氏の指導により再興
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- 祭全体として、謝名城在住または出身者が出演する。かつては男性だけが躍るものであったが、戦後女性も踊りに加わるようになった。 空手の演舞を行うペーチンについては、現在も男性が務める。明確に何歳以上などの指定はない。
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ティークバイ(配役決め)…今年は祭の12日前の10月2日に行われた。 メースクミ(前仕込み)…旧暦八月十日に行っていたころは、2日前の八月八日に行っていた。現在は一週間ほど前に行い、今年は10月6日におこなった。
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 上城の入り口の拝所である御殿前(ウドゥンメー)で行っていたが、現在は公民館で行っている。
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- 舞台での踊りで最初に演じられる「長者の大主の中」の中で演じられる。 長者による口上、孫たちのかぎやで風、筑登之の舞を行い、最後に親雲上が空手の型を披露する。 長者とともに登場しかぎやで風や筑登之の口上を待っている間はたすき掛けをしていないが、親雲上の番になり舞台上でたすき掛けをしたのち演舞する。演舞後はたすき掛けをしたまま長者と他の演者の後ろにしたがって退場する。 形について、手は決まっていないため先輩の指導と本人の考えで変わるが、動線(舞台中央やや後方に立ち、前→右→左→後ろ→前と動く)は決まっており、必ず動線に沿って演武する。
- 集落以外での披露の有無
- ■公民館やホールなど(市町村外)で演武したことがある
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- 空手を演武する親雲上は、黒紋服 白のうけはちまき 白黒脚絆 白足袋のいわゆる二才踊りの際の衣装に、紫色のタスキがけで袖を上げる。
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- 昔、祝女家のミーヤー(新家)で行っていたころは、衣装も新家で保管していたとのこと。現在は公民館で保管
- 衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
- 1972年の復興時に集落の人が作成し、現在も多くはそれらを修理して使っている。他演目について那覇在住の郷友会からの寄付や平成25年頃にふるさと再興事業を獲得し、一部衣装の修理・新調を行った記録がある。また長者の杖など漆・木製品の一部については、地元在住の漆芸家によって修理されることもある。
- 棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
- 大正13年以前は行われていたかどうかも含め不明。現在用具は使用しない
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- 太鼓と三線が用いられる。 過去には10名程で演奏していたが、徐々に少なくなり、現在は4名ほどまで減ってしまった。
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- 現在長者の大主の中で空手を行うときに使う曲は、たしかクーサンクーと読んでいた。が、詳しいことはわからない。
課題
- 支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
- 集落の高齢化・少子化の問題はありつつ、演じ手の次世代は育ってきているためなんとか大丈夫。地唄(三線等の演奏者)の跡継ぎが少ないのが問題。 現在の演奏者も高齢の人が多く、舞踊の後半演目になるとどうしても声が出にくく、カバーする人数も少ない。現在は子供たちで興味を持ちそうな子(演奏者の孫など)から少しずつ教えて、なんとか後継者を育てようとしている。
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■文献(おきなわ・大宜味村 謝名城の民俗 編著 新城真恵) ■映像記録 ■古老の記録、メモ ■プログラムや式次第 ■その他


