調査票結果
- 地元での呼び方
- 棒術/スーマチ棒
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- ガク、ドラ、太鼓の音に合わせた掛け声と共に演舞する(「湧川誌」)
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■型の演武(舞)がある、 ■対面での打ち合い等がある
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- 毎年、旧8月14日の豊年祭
- 上演の場所
- メンピヤー(前ヌピヤー)・獅子屋:奉納演舞 下のアサギ、上のアサギ
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- 不明。昭和10年ごろ、津堅棒の名手と言われた北谷の桑江小タンメーが湧川の棒を観て、この棒は「クンヌ手」であるから大事に保存するように言われた(「湧川誌」)
- 中断・再興の時期とその理由
- 日清戦争後、旧慣打破の風潮と経済的な負担過重などの理由により、明治28年から中止したが、明治35年に再開されたとされている。(「湧川誌」)
- 武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
- 一説によれば、総巻(スーマチ)は、一人の強力な武芸者を鎮圧する大衆棒の使い方が表現されていると言われている。(「湧川誌」)
当該行事における意味
- 行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
- 上のアサギにて、総巻(スーマチ)が行われる。棒方全員が棒を斜め上下に振りながら広場いっぱいに大円陣をつくり、次第に二重三重と中央に向かって進む。円陣の中央に旗棒が達し、全員が一塊になると旗棒者による「ヒーヨーユイ」の音頭に、全員が「ユイ」の掛け声と共に飛び上がる。今度は反対に、中央の旗棒が四重五重の円陣の間を次第に外側へと出ていく。(「湧川誌」)
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- 棒シンカは、消防団、高校生、中学生で約20名くらい
- 組織の特化
- ■武術の部分に特化した組織がある
- 各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ・少子化で継承者不足が懸念されるため、高校生にも参加してもらうことで伝統文化の継承に努める
- 指導者の氏名(さかのぼるまで)
- 渡嘉敷氏(芸長)
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- 豊年祭の時期に消防団、高校生らに声をかける
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 旧8月7日にミャイジャシ(庭出し)で予行演習が行われる。(「湧川誌」)
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 豊年祭の舞台の前の広場
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- 奉納踊りでは路次楽らとともにタイボー等を披露する。舞台前での本番では、全員でスーマチの演武がある。
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- 棒、衣装(空手着)
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- 道具、衣装は公民館で保管している。
- 衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
- 道具や衣装は字費で購入する。字から棒シンカに対して補助金を出し、その経費でやり繰りする
- 棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
- 不明。
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- ドラ、ガク、鼓
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- ガク、ドラ、太鼓の音に合わせた掛け声と共に演舞する
課題
- 支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
- 子どもたちが減っており、後継者不足になる恐れがある
- コロナで影響を受けたこと
- コロナ禍で3年間豊年祭が実施できていない。指導者たちも演舞を忘れてしまうことが懸念される。来年は、少し早めに豊年祭の準備を始めたい。
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■文献 『湧川誌』(湧川誌編集委員会/昭和62年) ■プログラムや式次第


