調査票結果
- 地元での呼び方
- ・ボー(豊年祭で、三日間演舞を行う)
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■型の演武がある
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- 豊年祭の3日間
- 上演の場所
- アサギと公民館の広場
行事の目的・由来・伝承
- 武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
- メージュヤー(ゾーヤ)の初代島袋山戸がキナヤーの娘を嫁にしたので、その縁でメージューヤーは豊年祭の棒の役目を担う。
当該行事における意味
- 行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
- ・ボーは、豊年祭の前後、2回上演される。
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- 棒組(「踊り組」もある。)には、棒頭(経験を積んだ人で、プログラム全体に詳しい人があたる)
- 組織の特化
- ■武術の部分に特化した組織がある(保存会設置)
- 各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ・8月9日の朝、根神はアサギで祈願する。午前中は、棒シンカーだけが轟の滝近くの拝所(福地原のテイシンドコ)に向かう。午後には、棒シンカは練習を終えて、部落に下りてくるが、この時三線や笛でカチャーシー踊り「トーシンドーイ」の音楽似合わせて繰り出す。また、棒といっしょに山から取った竹(5本ないし7本)をもってくる。この竹に乗せて「棒の神様」をお連れするのだという。この時、島袋門中本家近くのアジマー(交差点)で島袋一門に迎え酒を振る舞われ、この場で必ず棒術を演じる。夕方には、棒シンカーがを先頭に「道ジュネー」が始まり、「クニムトゥ」の拝所でも神女よる御願が行われ、アサギに撞いたら道ジュネー一行のうつ棒シンカだけが神女とともに御願をしてから道ジュネー一行のうち棒シンカだけが神女ととにに御願をしてきらシンカーと根神が酒を交わす。豊年祭の三日間(旧8月9日、11日、12日)、毎日棒術に出る人たちがメージョーヤー(島袋門中)に拝みにくる。
- 指導者の氏名(さかのぼるまで)
- 島袋清他4、5人いる(2004年現在)
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- 40才未満。(男性のみか?)
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 棒の練習は、旧暦8月1日(若干変更もある)の棒御願(「ボーウガン」の呼称でいいか?)。ウガンの順序がある。夕刻ミーバシ(前平橋)に集まり、轟の滝(地元でどう呼ぶか?)に向かって安全祈願を行う。ここれをティクバイ(手配)といい、各配役が決まる。
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ティクバイの2日後、8月3日から浜(現在の野球場)で練習する。安全祈願の儀式(ハマウリウガン)を行う。
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- ・数久田のボーは、勇壮さで聞こえているのでケガが絶えない。「棒」の強度に関しては区で工夫(どんな工夫?)をしてなかなか折れないようにしている。みんな思い切って演舞するため、少しでも気を抜くと思わぬケガをしてしまう。区長さんが一番気が抜けないのは、「豊年祭」が終了するまで棒方にケガ人がでないことだという。 ・釘さえ打てないほどの強度の高い樫材の棒を使用するが、毎年10本ほどが折れる。それほど強く互いに棒をたたきあう。→音を大きく立てることに意味をもたせているのか? ・豊年祭のきかん、毎日棒術のメンバーはメージューヤに集まり。ムラ踊りの休み10日は同家で拝みことがあり、前庭でボー(棒組)が行われる(8/1,3(神人も同行)、10) ・仲尾次にも教えた(2004年現在の聞き取り 久高良宣さん)。 棒方は13種類がある。 1番のスーマキより3番のロクシャクノウラ、トゥヌギャー(飛棒)、大読谷山(ボーユンタンジャ)、やり棒、三人棒はこの順序である。棒はウどィの前後に行われるが、前半はサンニンボウはやらず、後半のみに行われる。4~トゥヌギャーまでは「中棒」といい6つの型(ムッコーガメ(向こう棒)、新棒、読谷小、ヤリと尺、空棒、ヤリの子)の6つの型を組み合わせる(1983年調査 市史資料より)
- 集落以外での披露の有無
- ■集落以外(市町村内)で演武したことがある(読谷村座喜味でも1999年~2000年頃棒の演舞をした) ■公民館やホールなど(市町村外)で演武したことがある
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- 白ズボンに脚絆を巻き白の上着に黒の羽織を着る。腰にはスカーフを巻く。
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- ・公民館 ・仕度係(棚原ヨシ他)が洗濯、虫干しを行う。 ・樫の原材を角材の段階で業者から購入して、区独自に加工して防水処理を施して体育館に保管。棒の強度を高めるために熟成させる意味で1年~2年寝かせる。平成20年度現在で4年前の平成16年度の棒が保管。19年度購入した棒は、あと1年寝かせる予定とのこと(平成16年度当時の区長談)
- 衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
- ・使用した棒(損傷している可能性があると思われるが)のメンテナンスはどのようにしているのか? ・棒の安全対策のために、総入れ替えを行うのか。計画的に、整備計画を行う必要があるが、毎年どのようにしているのか。
- 棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
- 樫材の原木から強度を高める工夫をして、1,2年寝かせる独自の工夫がある。
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- ドラ鉦、太鼓、ピーラルラー
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- 8月9日の午前根神が祈願後、午後には、棒シンカは練習を終えて、部落に下りてくるが、この時三線や笛でカチャーシー踊り「トーシンドーイ」の音楽似合わせて繰り出す。また、棒といっしょに山から取った竹(5本ないし7本)をもってくる。この竹に乗せて「棒の神様」をお連れするのだという。
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■文献 『名護市史研究資料第93集 芸能調査資料7 名護地区の芸能』(2009 名護市教育委員会文化課市史編さん係)200p. 251-253p.p. 『轟 すくた 名護市の数久田区』(刊行者刊行年?)180p. 「数久田」 『名護市史 本編9 民俗Ⅰ』(2001 名護市教育委員会文化課市史編さん係) ■映像記録(1983年名護市教育委員会調査記録あり(道ジュネー、棒、ムラ踊り)ビデオ録画、観察記録 2004年 名護市教育委員会文化課 市史編さん係報告書(写真、ビデオ、報告書))


