調査票結果
- 地元での呼び方
- ・ボー方(ほう) ・ボー方が演舞する行事は、「ホーネンオドリ」、「クングァチクニチ」と呼ぶ
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- メージクミ(旧9月7日)、スクミ(旧9月8日)、正日(旧9月9日)、別れ(旧9月10日)
- 上演の場所
- ・明治の頃は、昼はアシャギミャーの広場、夜はハンカジョーミャーの広場で行われていたという。 ・アシャギミャーでは昭和26年mで。翌年から公民館広場のみで開催されている。9月9日の正日の日には、アシャギミャーとハンカジョーミャーに道ズネーを行い「かぎやで風」「棒の演舞」の奉納を子鳴っている。
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- 「棒術は魔除けでではないかという」(玉城正一/仲尾次 『名護市史研究資料第91集 羽地地区の芸能1』(2007年)206p.)
- 中断・再興の時期とその理由
- ・明治末期から大正5年、昭和19年、20年は戦争で中断。 ・時を得て娯楽を要求渇望し、大正に入り各地相前後して復興。 ・戦争終了後すぐに再興した。
当該行事における意味
- 行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
- 豊年踊りの始めと終わりに演舞する。道ジュネーでも先頭を行く。棒方は最後の務めがあるので最後まで(アルコールは)飲まない
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- 責任者ー推薦、うまい人が推薦される。年齢も高めの人(昭和25年頃までは向上会が務めた) 指導者ー棒方の先輩4名ぐらい。 ドラ鐘ー棒方の先輩、小太鼓ー責任者
- 組織の特化
- ■武術の部分に特化した組織がある(昭和25年頃まで向上会がつとめた)
- 各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ・戦後から人数が増えたので、簡単にスーマキをする(運動会でスーマキをやっていたので、それを参考
- 指導者の氏名(さかのぼるまで)
- 島袋氏(2005年調査時点)、平成2年の要綱には、玉城氏、平良氏、平良氏、松田氏
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- ・戦前は「ガッコウボー」といった。尋常高等小学校(高等科)の先輩から習い、運動会の時に棒が各区(豊年祭のある区)から出た。 ・仲尾次からは6棒が出た。六尺棒、三尺棒、サイとヤリで、区の棒組への参加は高等科を卒業したこときから35歳ごろまで(若い人がでたらやめる)
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ・旧8月20日頃、会議で決める。 ・20日前後から練習を行う。
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 戦前から戦後にかけ、375番地の松田信秀宅の庭で練習していた。間切時代この屋敷に掟らしき人が居住し、その庭を利用していたが、その後この地に居住した松田鉄次(信秀の祖父)が棒に長じていた事から引き続き練習の場に供された。昭和53年まで続けられ、今は棒方の最後の演技はその庭で行われるのが慣わしである。『仲尾次誌』(1989 仲尾次誌編集委員会)117p.
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- ・仲尾次の棒に特に演舞名はない。イズミ、シーク、ワクガワなど各区から移入してきて、少し型を変えている。互いに交流して、逆に他の区がまねたものもある。 ・大正時代から昭和初期の棒は”3棒”(二人一組 6人)であった。「3棒」とは、二人一組で3組で行う棒をいう。 ・その後、若者が多くなったので、昭和35年に”6棒”にした。 ・さらに若者が増え、三尺棒等を増やし、現在(2005年当時)は”13棒”になった。 ・サイとヤリはもともとなかった。昭和35年ごろに山田の宮里氏(空手家)から習った。 ・現在(2023年)はどうか?
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- 以前はランニング姿(昭和25年頃)、白ハチマキ、白ズボン(復帰前頃まで)アメリカのシーツカバーでつくった(ミシンをもっている人に頼んだ)、最近は棒着(空手着)
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- 六尺棒、三尺棒(戦後まで自前で製作、現在は購入)、サイ、ヤリ
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- ドラ、太鼓、三線(地謡)
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- ティーサンクー
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■文献 『仲尾次誌』(1989 仲尾次誌編集委員会) ■その他(玉城正一さんの家に古い写真がたくさんある。) ※玉城正一さんは、17歳で兵隊に行き戦後復員し、昭和22年から棒に出演した。現役を25年間務めた。『名護・国頭郡の100年』に棒の写真有り(昭和25年ごkろのもおんと)。


