調査票結果

年中行事名
■豊年祭(ボウと獅子舞に武術的身体的表現がある)
市町村名
名護市
行政区
田井等・親川
小字名
テーヤ・ウエーガー
地元での呼び方
ボウ、獅子舞 旧8月8日-9日に豊年祭が行われ、ムラ踊り、道ジュネー、棒方、獅子舞の催事が行われる 『名護市史研究資料第91集 芸能調査資料5 羽地地区の芸能1』(2007名護市教育委員会文化課市史編さん係)

武術的身体表現の形態

武術的身体操作・表現の形態
・棒の出演者は、棒方(ボウカタ)と呼ぶ。 ・「田井等・親川の獅子舞の由来」の書き物の中に、「・・・踊る時間は二十分。踊る手は唐手の九三九と称し、今より百七十年前親川孝一氏の振付けで授しものなり・・・」『名護市史研究資料第91集 芸能調査資料5 羽地地区の芸能・1』 359-360p.p.
武術的身体操作・表現の分類
■型の演武がある ■その他(獅子舞の踊る手は、空手のクーサンクー(公相君?)を活用したという伝承がある. )

時期・場所

行事が行われる期日(旧暦)
旧8月8日(親川公民館)・9日(田井等公民館)
上演の場所
田井等・親川公民館 ※田井等と親川は、連称でテーヤ・ウェーガーと呼ばれたテーヤからウェーガーが分離したとの伝承がある。『沖縄国頭の村落(下)』(81p.1982新星図書出版)

組織・指導者・伝承方法

組織
ムラ踊りと同じ。踊りは、青年会を中心に、棒方は両区(田井等、稲嶺)の向上会(コウジョウカイの読み方でいいか?)。向上会は、29歳~55歳で構成。踊りをしない青年座長は両区で交代ずつ行う。
組織の特化
■武術の部分に特化した組織がある(保存会設置)→向上会
出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
向上会(29歳~55歳)で構成するが、2004(平成16)現在の調査では、中高生も参加している、と記載。

稽古の仕方、期間

稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
獅子舞は親川公民館、踊りは田井等公民館、棒方は両区の公民館前広場で練習。 田井等区・・・田井等区公民館、親川区・・・親川区公民館、田井等区・親川区のスーマキ棒・・・親川区公民館

演舞(武)構成

演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
平成18年現在 棒方は、田井等区で12名、親川区で15名。プログラムの中では、特に「棒方」のみで、具体的な内容は記載されていない。(同掲書)

衣装・道具

衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
・ステテコ・シャツは各公民館で負担。棒・衣裳については公民館で保管
衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
田井等・親川区踊会計で賄っている。内実は、各家庭1千円の負担金と寄付金。

音楽

楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
ドラ、オラ、タイコ

記録

文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
■古老の記録、メモ (「名護市字田井等親川獅子舞の由来」(作者不明2005)によると、「獅子舞は村芝居と同じく氏神神社前において行はれ来りし・・当字では旧八月八日と十五夜等で之を演ず。頭部は軽い木梯梧、立髪以下胴部は芭蕉・・・踊る時間は二十分踊る 手は唐手の九三九(クーサンクー)と称し、今より百七十年前親川孝一氏の振り付けで授けしものなり、頭部彫刻は、翁長林英氏の作と今も讃えられる。」(同掲書359-360p.p.) ■プログラムや式次第 (平成18年9月28日親川公民館、9月29日田井等公民館 「田井等・親川豊年踊」(プログラム) 『名護市史研究資料第91集 芸能調査資料5 羽地地区の芸能1』(2007名護市教育委員会文化課市史編さん係)351-360p.p.