調査票結果

年中行事名
■豊年祭
市町村名
名護市
行政区
振慶名
小字名
ブリキナ
地元での呼び方
ボー

時期・場所

行事が行われる期日(旧暦)
旧8月8日、平成14年度(2002)より8月8日に近い休日を正日にあてる。スクミ、正日の2日実施。ボーは正日に実施。
上演の場所
公民館広場。 平成10年(1998)まではアシャギ前のバンク前(?)

行事の目的・由来・伝承

行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
大正時代後期から昭和初期までは、コモ(筵)の上で踊る。昭和4,5年頃バンクで踊り始める。その時々にいろいろな人から指導を受けた。
中断・再興の時期とその理由
太平洋戦争の時期(昭和20年)前後。 昭和23年、24年に、俗称「クビカナー(女性)」が振慶名大屋へ戦争避難のために居住していたので、教えを請う。この方は、那覇辻のジュリであった。三線もひいていた。

組織・指導者・伝承方法

組織
座長(選任)、踊方、棒方。(豊年祭の一部)
各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
大正末期より昭和初期頃、仲尾次より習得し、指導。
指導者の氏名(さかのぼるまで)
玉城氏、前川氏
出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
主に向上会(どのように呼ぶか?)の若手。向上会は、成人会の意味。

稽古の仕方、期間

稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
・戦前は旧7月から古典舞踊、旧8月より劇の練習を始めた。現在は、旧7月15日のエイサー終了後練習を開始する。
稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
戦前は、屋号「仲尾次屋(師匠 玉城松吉宅)。戦後は屋号「大屋」(どのようによぶか?)、にて平成10年(1998)まで行う。現在は公民館前。

演舞(武)構成

演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
・前棒(どのように呼ぶか?)、後棒(どうように呼ぶか?)、「平成16年度 豊年祭棒方」(プログラム)の4番目に「鶴」、9番目に「亀」のプログラムがある。 ・踊りの前後2回演じる。 ・道ジューネーの時に、ハンカ場にてヤグイかけ。ヤギイかけとは、何か?

衣装・道具

衣裳・道具の名称と着方
先に肌着にステテコ、現在は空手着
衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
戦前は、自前であったが、現在は公民館で購入。棒は昔は自作していたが、現在はスポーツ店で購入。
衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
現在は公民館

音楽

楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
チジミとブラー、 現在は銅鑼も。

記録

文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
■文献 『名護市史研究資料第92集 芸能調査資料6 羽地地区の芸能・2』 83-85p.p.(名護市教育委員会文化課市史編さん係2007) ■プログラムや式次第(平成16年度豊年祭 棒方 プログラム10(前棒、後棒19人、指導方2,チジミ方、ドゥラー方、ボラー方各1名)