調査票結果
- 地元での呼び方
- ボー、空手
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- 空手の演目は、屋我地地区の児童・生徒が松田氏の空手指導を受けているが、屋我地の他区で豊年祭で演武するのを参考にした(2005年現在)
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■型の演武がある
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- 9MM9DD
- 上演の場所
- 屋我アサギ
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- 戦前から行われていたとされるが、詳細は不明。山里さんの父親が戦前棒を使ったという。
- 中断・再興の時期とその理由
- 昭和22年・・南洋から帰った玉城さんの南洋の知り合い(今帰仁村今泊の人)が指導。屋我の人と一緒に、カツオの餌の雑魚を獲っている期間に指導。 昭和61年・・・現在(2004)まで真喜屋の松田さん(昭和26年生、平成15年まで屋我在)が指導した。
- 武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
- 演目の中で「空手」もある(2004年現在)
当該行事における意味
- 行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
- 踊りの始まる前と終わった後。
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- 「棒組」がある(踊り組に対して、そのように呼ばれた) ・「平成13年豊年祭プログラム」(10月25日)の棒術には、7名の名前が記される。
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- 青年。平成13年は屋我区の高校生(男子)も参加
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ・昭和30年代頃は、約2か月前から練習した。 ・20日~1カ月
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 屋我公民館
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- 1 前棒(メーボー)(2人) 2 六尺の裏(2人) 3 新棒(ミーボ―)2人の3組
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- ・戦後直は、肌着(ランニング)姿であった。 ・現在は柔道着、脚絆、靴、たすきがけ、頭鉢巻、
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- 公民館
- 衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
- 柔道着は昭和61年購入。棒は十数本保管されているが、入手時期は不明
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- 小太鼓
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■文献 『名護市史研究資料第87集 芸能調査資料5 屋我地地区の芸能』(2005名護市教育委員会文化課市史編さん係)351p.、365-367p.p. ■プログラムや式次第 『名護市史研究資料第87集 芸能調査資料5 屋我地地区の芸能』(2005名護市教育委員会文化課市史編さん係)372p.


