調査票結果
- 地元での呼び方
- 盆行事・・・道ジュネーの行事の中で、棒術の演技の披露がある。 太鼓を鳴らし、楽(がく)をふきならして全員が棒をもって歓声をあげ気勢をあげる。それを「ガイ」という(『字久志芸能誌』2005年久志区(39-40p,p,) スクミ(旧7月13日)踊庭(総巻、棒の演技)、ソーニチ(旧7月16日)(総巻、棒を演技)、ワカリアイ(旧7月17日)(総巻、棒の演技) ボー(旧7月16日) 現在(2005年現在)は、3年マールで盆踊り(ムラ踊り)、エイサー、やぐら踊りを順番に行うが、ユーニゲー(世願い)で、棒、スーマキ(総巻)は毎年行う。
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- ムラ踊りの演目の中には、「メーカタ」とよばれる空手を舞踊化したものがあある。
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■型の演武がある ■その他( ムラ踊りの演目に「メーカタ」(伊良波尹吉の指導)のものがある。)
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- 7MM16DD
- 上演の場所
- 体育館前バンク
行事の目的・由来・伝承
- 中断・再興の時期とその理由
- 昭和13年頃から衰退し、戦時大戦下は中断。 昭和50年に区民の要望で復活。
当該行事における意味
- 行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
- ・ボーは、ユーニゲー(世願い)の意味をもつとされたので、2005年以降は盆行事はムラ踊り、エイサー、やぐら踊りの順番に行われるが、ボウはその性格付けから毎年行われた。 ・活発な演技であったとされる。動作が鈍いと観客からヤジ(足を折れ等)がとんだ。
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- ボウシンカ 以前は、夜警、見物席の世話等いろいろな雑役を負った。
- 指導者の氏名(さかのぼるまで)
- 島袋哲、古謝景松、宮里卯太郎、比嘉増進、棚原憲明、金武川勝、島袋初男(2005年現在)
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- スーマキー(総巻)…中学生から40歳くらいまで、40-50名
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 本番一か月前から練習する。
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 体育館前バンク
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- ・スーマキー(総巻)…薙刀持ち、槍持ちを先頭にして、一列に隊列を整えから「ヒーヨイ」「ヤイ」の掛け声で士気を高める。一列にならんで小走りで前進した後、二列に隊列を変えたり、薙刀組と槍組に分かれて二つ小さな円形(左右どちら周りか?)を作ったりする。次にひとつ大きな円になり、それから次第に円形を螺旋状に変え、またそれを解いていくように、形態を変えながら演技が行われる。ガク(路地楽)や太鼓に合わせて演技する。薙刀、槍使用 ・三人棒(ミッチャイボー)・・・若者で棒術に優れた者。六尺棒持ちは槍・薙刀棒の槍持ちがあたり、三尺棒持ちの1人は薙刀持ちが当る。もう一人は、別に選ばれる(型をもって戦う。六尺棒は真ん中に位置し、三人棒の「ナカワイ」(中割)をする。→この演舞は、全員の中から選ばれて昔から伝えられた者である。槍、薙刀棒と並んで区の保存種目の対象である。二人一組の棒
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- 白ワイシャツに白ズボン、帯は角帯を結び、頭に白い鉢巻をしめ、白に縦縞の脚絆に白い靴を履く。槍・薙刀持ちは緑色の鉢巻を占める。
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- 棒は公民館で保管。脚絆、だてまき、鉢巻は区から支給するが、他の衣裳は各自準備。
- 衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
- 以前は、山からイーク(モッコク)の木を切ってきて自分で作った。最近は、区予算で購入する。
- 棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
- 土地の山から取られたイーク(モッコク)
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- ガク(路地楽)大太鼓
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- ガイガク(路地楽)大太鼓(2人で持つ)
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■文献 『名護市史研究資料第89集 芸能調査資料3 久志地区の芸能・1』(2006 名護市教育委員会文化課市史編さん係)54、58-62p.p.


