調査票結果

年中行事名
■豊年祭(ムラウドゥイ)
市町村名
名護市
行政区
辺野古
小字名
ヘヌク
地元での呼び方
・スーマキーボー(数巻棒)、ボースケー(組棒)

武術的身体表現の形態

武術的身体操作・表現の形態
ムラウドゥイの演目にメーカタ、古くはコーサンクーと称す。別称ザーギリウドゥイ(舞台を決める舞、古武道的な形の力強い舞)『辺野古誌』p.655
武術的身体操作・表現の分類
■型の演武がある ■対面での打ち合い等がある ■その他(ムラウドゥイの演目にメーカタ、古くはコーサンクーと称す。別称ザーギリウドゥイ(舞台を決める舞、古武道的な形の力強い舞)『辺野古誌』p.655

時期・場所

行事が行われる期日(旧暦)
ムラウドゥイ 7月11日(モーズクミ) 棒演舞 7月14日(スクミ)、16日(正日)、17日(別に遊び)(2004年現在) 戦前はほぼ毎年上演した。昭和50年ころから、3年マール(3年に一度)で行う。
上演の場所
ムラウドゥイは、ウドゥイミャ-(青年クラブ)、戦後は旧養蚕室(旧字事務所)前広場、現在は公民館ホール。戦前の7月17日「別り遊び」は十七日毛で上演した。 ボーは、ウドゥイミヤーで演じられていたが、現在(2004)は公民館広場

行事の目的・由来・伝承

行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
宜野座出身の通称チョンナーカナーウンチュという人に師事したといわれるが、詳細は不明。
中断・再興の時期とその理由
・戦後から昭和48年頃まで(一時期)中断。 ・昭和48年頃、辺野古芸能保存会結成を機に、戦後演じた人たちの記憶があるうちにと復活を果たす。しかし消滅した型もある。
武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
・古老によると、久志村内の行事で、ウトジャンバ棒を演じた宮城正次郎(西前大屋)と島袋元実(世利ヌ屋分家)は村より表彰を受けたほど組棒の伝承者であったという。

当該行事における意味

行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
踊りの上演の前に行う。

組織・指導者・伝承方法

組織
辺野古芸能保存会の棒術部
組織の特化
■武術の部分に特化した組織がある(昭和48年頃保存会設置)
指導者の氏名(さかのぼるまで)
明治・大正期は島袋継一郎、島袋甚五郎、島袋謹保、島袋彦四郎、その後は、宮城福助、島袋松助
出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
若い青年を中心に配役する。

稽古の仕方、期間

稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
上演2ヶ月前。
稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
公民館広場

演舞(武)構成

演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
・ボースケーと呼ばれる組棒は、沖縄の伝統的な棒とヤイ(槍)、ナギナタを使用した古武術を取り入れた演技で、その勇壮活発な演武は七月踊りを楽しむ住民を魅了し、他村からも大勢の見物人が訪れるほど、古くから伝承された民俗芸能のひとつである(『辺野古誌』より)。 ・スーマキボー (青壮年男子、中高生男子約60人/ナギナタ、六尺棒) ・・・集団演舞で、大巻き、チクラ巻き、グヤ巻きで構成。詳細は『辺野古誌』p.663 ・オーギメーボー (2人、六尺棒、組棒は組手と約束した一連の型はあるが、力強い動作や跳んだりはねたり、打ち込みなどは速い演技が要求されるので青年を中心に配役される。)近年、演舞に手が加えられる。 ・ミーヌキャー(2人/六尺棒) ・アブゲーボー(2人/六尺棒) ・サンジャクボー(2人/三尺棒、六尺棒)演舞経験の長い青年が演じる。 ・ナギナタ(2人/ナギナタ、六尺棒)棒演舞経験者から選ぶ。

衣装・道具

衣裳・道具の名称と着方
上下白のズボンと白襦袢、頭は紫の長巾を締める。全員がタスキ結びと脚絆を巻く。
衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
芸能保存会

音楽

楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
大太鼓、ドラ、鐘、ブラ(ホラ貝)、ピーラソー(ガク)
楽曲(戦前、戦後の変化)
音曲は、「遊びグク」と称し、奏者の島袋由来は演奏しながら踊ったりした。

記録

文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
■文献 『辺野古誌』(辺野古区事務所 平成10) 662-664p.p.  『名護市史研究資料第89集 芸能調査資料3 久志地区の芸能・1』(2006 名護市教育委員会文化課市史編さん係)197,235-243p.p.