調査票結果

年中行事名
豊年祭(十五夜村あすび)
市町村名
金武町
行政区
並里区
地元での呼び方
ボースケ(棒術)『並里区誌・戦前編』P297棒スケェー(並里区伝統芸能保存会)

武術的身体表現の形態

武術的身体操作・表現の形態
(1)スネイボー(チクラボー) ドラや太鼓、ブラ(ホラ貝)、ドラのリズムにのせ体形の変化を工夫して行進する ・チクラ巻 ・マチボー(螺線状) (2)一斉棒(基本動作) (3)組み棒 ・タイボー(二人組) ・ミッチャイボー(三人組) 『並里区誌・戦前編』P298 1「サーサー・サーサー」と声を掛け合い、6尺棒で(スネイ棒)で士気を高め合いスーマチ棒、マチ棒を行う。スーマチ棒は潮の干満をヒントに連帯を表現したもので、マチ棒とはチクラマチともいい、チクラという魚の群れに石を投げ入れ、逃げ惑う魚と水の波紋をヒントに考えられたものである。 2型の演技「基本棒」全員、2人で行う「甲乙」、3人で行う「三人棒(みっちゃい棒)」、5人の「五人棒(ごにんぼう)」でドラ・太鼓・ボラに合わせて演じられる。 (並里伝統芸能保存会)
武術的身体操作・表現の分類
■型の演武(舞)がある

時期・場所

行事が行われる期日(旧暦)
旧暦8月15日
上演の場所
大松下(ウフマチシチャ)の広場(並里地区公民館駐車場のところ)(並里区事務所)

行事の目的・由来・伝承

行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
いつ頃から始まったのか明確でない。 仲間彌造(屋号チャーチャ=92歳)の話によれば、1915(大4)年頃に名護市幸喜に住んでいた仲村渠某という人が与那城忠三(屋号ンジュイジァハナン小)や仲田久三(屋号ウィーアラカ)、与那城平雄(屋号シチャラ)に伝授したのが始まりだと語っている。『並里区誌・戦前編』P297
中断・再興の時期とその理由
仲間英次氏が故仲田久三から伝授され習得。しかし、戦争により途絶えたが平成4年、50年ぶりに復活、現在は伝統芸能保存演目として子供会、青年会を中心に継承している。(並里区伝統芸能保存会)
武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
並里の山々から切り出した薪を買い付けに来る山原船を待つ間、若者たちが薪を担ぐ棒で稽古したと伝わっている(並里区伝統芸能保存会)

当該行事における意味

行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
故武術としての技というより、むしろ平民棒(棒踊り)としての動きに近い(並里区伝統芸能保存会)

組織・指導者・伝承方法

組織
伝統芸能保存会の保存演目として位置づけられている(並里区事務所)
組織の特化
■武術の部分は専門の師匠がいる
各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
平成9年に保存、継承を目的に伝統芸能保存を立ちあげた(並里区事務所)
指導者の氏名(さかのぼるまで)
仲田氏(屋号ウィーアラカ)、仲間氏(並里区事務所)
出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
子ども会から青年会、50代までの男性(並里区事務所)

稽古の仕方、期間

稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
現在では十五夜の3ケ月前から稽古。演目によっては通年で行っているものもある。青年会はエイサー練習終了後から稽古する(並里区事務所)
稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
並里公民館(並里区事務所)

演舞(武)構成

演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
六尺棒でスネイ棒で行進。到着するとスーマチ棒、マチ棒を行う(並里区事務所) スネイ棒、基本棒、甲、乙、仕掛棒、組棒(ミッチャイ棒、五人棒)で構成(並里区伝統芸能保存会)
集落以外での披露の有無
■集落以外(市町村内)で演武(舞)したことがある ■公民館やホールなど(市町村外)で演武(舞)したことがある ■その他(県外、国外)

衣装・道具

衣裳・道具の名称と着方
棒は六尺棒。衣装は上下黒色、白黒の脚絆、腰巻とサージは緑
衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
棒は区管理。衣装は個人管理と区管理(並里区事務所)
衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
棒に関する衣装は別注。用具類は区職員が制作(並里区事務所)
棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
以前の材質は不明。現在では六尺棒は樫と集成材の棒を使用している(並里区事務所)

音楽

楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
三線、琴、笛、太鼓、胡弓(並里区事務所)

課題

コロナで影響を受けたこと
練習ができないこと(並里区事務所)

記録

文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
■文献 ■映像記録 ■プログラムや式次第