調査票結果
- 地元での呼び方
- チナヒチにおけるハシル―
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- 綱引きの前に東である内村と西である兼久双方が体をぶつけ揉みあい、力比べのような「ガーエー」と呼ばれるものが女性から始まり、次に男性のぶつかり合いと、2,3度行われる。そこに、内村からは亜麻和利、兼久からは護佐丸に扮した2人の若者がハシルーと呼ばれる木の上の板に担がれ登場し、一騎打ちとなる。
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■型の演武がある、 ■対面での打ち合い等がある
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- 村史によると旧暦に6月25日後に稲全部を刈り取る。これをチーナクという。日を異にすれども、この頃、綱引きがあるということであった。しかし近年は毎年旧暦6月25日が綱引きとなっている。
- 上演の場所
- 公民館横の道(正面向かって左側)
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- 綱引き(チナヒチ)に関しては豊作祈願である。
- 中断・再興の時期とその理由
- コロナがあった4年間だけ中断していた。
- 武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
- 無し。しかし昔は亜麻和利と護佐丸ではなく、弁慶と牛若丸であったが
当該行事における意味
- 行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
- 昔からハシル―は行っている。なぜ亜麻和利と護佐丸かは不明である。伝統だからやっているとのこと。
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ハシル―の2役は当日稽古を付けられていた。動画を見つつ行っている。人選は体重が身軽で、若い人であるとのこと。
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 公民館ホール
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- 昔はシタクを乗せて東西対抗で板上でもガーイをしたが今ではシタクが太刀を合わせる演武だけある。ハシル―は東西各8名が持ち上げる。ハシル―が合わされると手にした太刀で切り結ぶ仕草をする。これを二回繰り返す。このハシル―も昔は激しいものでハシルの上で取っ組み合いをした。
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- ハシル―は戸板様に作られた御輿。化粧は男性が仕立てる。ハシル―を支える人半被に、頭と腰に藁を巻きつけていた。
- 衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
- ハシル―の刀などは指導する玉城さんが手作りである。
音楽
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- 東が「ホーイヤ」西が「ホーホイ」と応える。西が銅鑼で東が太鼓を掛け声に合わせて鳴らす。
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■映像記録(浦添てだこ祭に出演した記録が行政で保管している可能性あり、(未確認)1992首里城正殿復元の際の杮落し公演で戦後活躍された先輩方が演舞している。沖縄アーカイブスに昭和8年頃の我喜屋の綱引きフィルムが保存されている。) ■古老の記録、メモ(昭和55年の浦添市史担当事務局編の「前田棒について」は前田出身の古老の記録)


