調査票結果
- 地元での呼び方
- 十五夜(ジューグヤー)、豊年祭ともいう。 6年に一度(卯年・酉年)は「ウフアシビ」として、さまざまな余興(村芝居など)も催して盛大に行う。 『豊見城市史 第2巻 民俗編』P480において字翁長の十五夜を解説しており、「戦前は、マチボー(巻棒)もあった」と記されている。 戦後は一度も行なわれていないとも受け取られる表記だが、1981(昭和56)年酉年には巻ち棒の再演がなされた。しかしその後は、演じられていない。
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- 集団演技としての「巻ち棒」は、1981年(酉年)の再演以来、演じられていない。 翁長の巻ち棒の型は「グヤー棒」、「グヤーヌマチ」と称されていたという。 現在では余興などの一演目として棒術や空手が披露されている模様。
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■その他(一定の年齢層の男性たちが集団演技する「巻ち棒」があった。1981年に49年ぶりの再演が行われたが、以来今日に至るまで行われていない )
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- 旧暦8月15日
- 上演の場所
- 翁長の馬場
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- 十五夜の目的に関しては、他の地域と同様に、豊作への感謝をこめて祈り、集落の安寧と発展を願う行事。 1981年(酉年)の十五夜の際に翁長自治会と十五夜実行委員会が発行した小冊子「豊年祭」のなかに、翁長の巻ち棒に関する由来譚が掲載されており、それによると250年~200年ほど前に、首里へ勤めに出ている翁長出身者が多く、泊村の武芸者たちから巻ち棒を学び、故郷の十五夜に取り入れたと伝わっている。
- 中断・再興の時期とその理由
- 翁長の巻ち棒が途絶えたのは1930年代初頭と考えられている。理由としては「戦前の諸種の社会的制約」であったとされている。 1981(酉年)に再演された経緯について、前掲の小冊子「豊年祭」では、「…祖先伝来の文化財は、この地に生まれ育った人びとの心の拠り所として、また部落全体の協調と融和を図り、団結を固める面からむしろ盛大にして子々孫々に伝えていくべきである」という思いから取り組まれた。 しかしその後の諸般の事情から、1987年(卯年)での演技はなく、爾来翁長における「巻ち棒」の演技は行われていない。
- 武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
- 翁長の「巻ち棒」の由来について、正確なことは判らないと断りをいれつつ、下記の伝承が伝わっている。 「その昔(今から200~250年前)、当字(翁長)から首里王府や御殿、殿内に務めに上っていた方々が15人以上もおられたようで、今でも古老たちの語り草になって、その名も高い上門高良(ウィージョウタカラー)という人が、首里王府でも重く用いられていたほか…略…そのほか、棒者(棒術の達人)高安親雲上と名高い方々が居られたとのことであり、これら多くの首里勤めの人たちが、武術者の多い泊村(現在の那覇市泊)に通って棒術を習得し、このグヤノマチを導入したと伝えられています。遠い昔のわたしたちの先祖が部落民の団結心の象徴的なマチボウを、十五夜行事の一環として導入したものと思われます」
当該行事における意味
- 行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
- 翁長の巻ち棒は、字民の協調性、融和の精神、団結を育むものとして認識されていた。 1981年(酉年)に復活した際にも、「部落民の団結心を呼び起こし、ひいては青少年の健全育成の場としての活用を図るべく」という目的があった。
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- 再演当時の詳細な組織は不明。
- 各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 資料不足のため調査できなかった。
- 指導者の氏名(さかのぼるまで)
- 資料不足のため調査できなかった。
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- 戦前の出演者条件に付いては調査できなかった。 1981年に復活した際は「中学生以上、60歳まで」の翁長の男性が参加した
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 資料不足のため調査できなかった。 1981年に再演された際には、臨時戸主総会によって再演が決まったのが8月19日で、本番が9月12日(旧8月15日)なので、1か月未満の練習期間となっていた。 この時には参加者の職業や学業も多様化が進んでいた時代で、練習は夜間に行われていた模様。
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 翁長の馬場など
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- 現在は「巻ち棒」は行われていない。 1981年再演の際の「巻ち棒」の型については、その年に発行されたパンフレットに詳しい。 ただし、十五夜の余興の中では、棒術や釵などが披露されることがある。 (文化課が所蔵する1999年(卯年)、2005年(酉年)のパンフレットの中には、「空手」「棒」「サイ術」などの記載がある)
- 集落以外での披露の有無
- ■その他(資料不足のため、不明)
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- 1981年(酉年)に再演が行われた際にいくつか写真が撮られており、その中の男性たちは上下白の運動着、白黒の脚絆、タスキ、紫色のマンサージをかぶり、六尺棒を手にして演技している。
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- 資料不足のため調査できなかった。
- 衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
- 資料不足のため調査できなかった。
- 棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
- 資料不足のため調査できなかった。
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- 資料不足のため調査できなかった。
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- 資料不足のため調査できなかった。
課題
- 支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
- 資料不足のため調査できなかった。
- コロナで影響を受けたこと
- 翁長自治会も、保栄茂自治会の十五夜行事縮を受けて、縮小する形で行った。
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■映像記録(映像は未確認だが、翁長自治会が1981年の「巻ち棒」の様子を収めた写真を所有している。豊見城教育委員会が2021年に発行した『とみぐすく写真アーカイブ13翁長』にその一部が掲載されている。) ■古老の記録、メモ(昭和55年の浦添市史担当事務局編の「前田棒について」は前田出身の古老の記録) ■プログラムや式次第(1981年の十五夜(豊年祭)のパンフレットの複製を、豊見城市教育委員会文化課が所有している。確認出来た範囲では、「巻ち棒」復活に取り組む経緯、由来、翁長の巻ち棒の型について図解された資料はこれのみだった) ■その他(「沖縄タイムス」1981年9月13日朝刊の15面に翁長の「巻ち棒」に関する記事が確認できる。また、「琉球新報」1981年9月12日朝刊の14面には、翁長の「巻ち棒」復活に関連してか当時の翁長自治会長である當銘晴光さんのコメントが掲載されている。)


