調査票結果
- 地元での呼び方
- ボー(棒) ハジリ(六尺棒と尺棒)※尺棒は三尺 ボーマチ(棒巻) ジャジリ(邪斬り)
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- ・棒を演武する人を「棒人衆」と呼ぶ。 ・2023年は奉納演武はなし。棒巻を南(フェー)から入場し、北(ニシ)の棒巻(グーヤー巻)の形態で行った。
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■型の演武がある ■対面での打ち合い等がある
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- ・旧暦8月15日の次の日曜日。十数年前までは旧暦に合わせて行っていたが現在は日曜日に実施している。
- 上演の場所
- ・戦前の十五夜祭りでは、南(フェー)の棒人衆は勢理城に集合し、棒術の演武を奉納してから祭りに参加するしきたりになっていた。現在は、南北がひとつになり、公民館前広場にて演武と棒巻が披露されている。
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- 富盛の八月十五夜行事(17世紀頃) (八月十五夜祭事の中で演じられる演目に唐人行列・大和人行列(いずれも町指定文化財)があるその起源は不詳ながら口伝では17世紀頃から十五夜で踊られていたとある。)村の豊作を祈願し行われる豊年祭。北と南の各出発場所から旗頭、金鼓隊、棒術衆、シタク、芸能衆、女行列を隊列を成し豊年祭の遊び庭を目指して進む。遊び庭に結集した字民は八重瀬の御嶽に向かって奉納と感謝を捧げ無病息災を祈願した後に奉納の芸能が始まる。北・南の出し物として芸能が演じられ現在まで継承されている。 富盛の棒術は、村を守るために実戦さながらの訓練のなかから編み出された独特の棒術なのだ。 南北(フェーニシ)それぞれ十種類の型をもっているが、対抗意識が強く同じ名称の型でも相手との違いを強調している。 以前はけいこも相手に見せないよう別々に行っていたという。
- 中断・再興の時期とその理由
- ・昭和12年7月の日華事変勃発で非常時となり、およそ40年間中断。
- 武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
- 富盛の八月十五夜祭事の中で演じられる演目に唐人行列・大和人行列(いずれも町指定文化財)がある。その起源は不詳ながら口伝では17世紀頃から十五夜で踊られていたとある。)唐人行列の中で、中国の役人一行の行列の様子を再現した演出構成があり、その中で按司の所望により空手を披露する場面がある。二人体制で組手を行う。
当該行事における意味
- 行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
- ・十五夜祭りの道ジュネーイにおいて、旗頭、今年カーラー、大和人行列、唐人行列、大なぎなた、棒術、棒巻、女行列、綱引きの順序にしたがい演武した。豊年祈願を目的に行われた十五夜祭りは、字の年中行事の中で最も大きな行事であり、子どもから年寄りまで、字民挙げての行事である。十五夜行事に参加することは、字民にとって大きな自信と誇りであり、字の活性化と連帯感が培われた。
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- 戦後、生活様式が多様化し、集落の伝承行事や生活習慣が次第に姿を消した。 このままでは消滅してしまうのではないかとの危機感が芽生え、一九八九年に富盛伝統芸能保存会、棒術保存会を結成、月二回の稽古日を設けて伝承保存に取り組んだ。
- 組織の特化
- ■武術の部分に特化した組織がある(棒術保存会設置)
- 各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 戦前:保存会などはなく、十五夜行事の練習に入る前に、師匠が各演目の配役や役割分担を決めた。 復帰後:1986年に富盛棒術保存会、1987年に富盛伝統芸能組踊り保存会、1988年に富盛伝統芸の保存会が結成され、2001年には三つの保存会を一つに統一し名称を富盛「十五夜祭り」伝統芸能保存会と改称した。本会は、富盛に伝わる伝統芸能、道ジュネーイ、ヨンシー、棒術、二才踊り、組踊りを保存し、且つ継承すると共に、字民との融和と連携を図り、富盛の文化向上発展に寄与することを目的とする。
- 指導者の氏名(さかのぼるまで)
- 野原氏 山城氏 照屋氏 富田氏
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- 戦前:年齢は20歳位から40歳までの男子、40組(80人)程度。 現在:子ども、年寄りを除く男子で行っている。(小学校4年生以上) 富盛在住、富盛出身者。
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 戦前は、旧暦の8月10日に主だった人々が集まって各種出演者の人選をして、翌日の11日からは午前から猛特訓で、練習期間は僅か3、4日間で本番を迎えた。 現在は、本番の2週間前から練習を開始している。
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- ・棒の練習場所は、公民館前広場にて行う
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- 南の型 1邪斬り(ジャジリ)邪気払い 2ハジリ 3イリクマー 4牛若 5サヤと棒 6一方斬り 7四方斬り 8六方斬り 9不明 ⑩シー棒 ⑪棒巻(ウラ巻) 現在は、123467⑩を演舞している。 北の型 1邪斬り(ジャジリ)邪気払い 2ハジリ 3タチヌ手 4エイの手 5サヤと棒 6トゥンボー 7佐久川のクン 8津堅手 9ティンベー ⑩シー棒 ⑪棒巻(グーヤー巻) 現在は、12348⑩⑪を演舞している。 南(フェー)北(ニシ)それぞれの演武であったが、現在は一つになって行っている。 棒巻(ボウマチ)は、子どもと年寄りを除く男性で行う。
- 集落以外での披露の有無
- ■集落以外(市町村内)で演武したことがある ■公民館やホールなど(市町村外)で演武したことがある(やえせまつり、八重瀬民俗芸能公演(国立劇場)、棒術フェスティバル(町主催)、棒術シンポジウム(県文化協会主催)へ出演)
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- ・衣装は、棒巻の先導は赤色の打掛、白黒脚絆、紫サージ、棒人衆は上下白に白黒脚絆、紫のタスキ、紫サージ。シー棒は胸に「富盛棒術保存会」と書かれた黒空手着(上下)、紫サージ、白黒脚絆を着用。 ・鐘打ちは青色の打掛、白黒脚絆、白上下に紫タスキ、紫サージ。いずれも履物は、白の運動靴。 ・棒は、六尺棒、四尺棒、三尺棒。
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- ・紫サージと白黒脚絆は、個人管理・保管と公民館管理・保管がある。打掛は公民館管理・保管。
- 衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
- ・個人の予算で購入・修繕と伝統芸能保存会の予算で購入・修繕がある。
- 棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
- 棒の材質は樫材。現在は守礼堂から購入している。
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- ・道ジュネーイの棒術の際は、アナウンス(司会)が演武者や型の紹介を行いドラ鐘(カニ)は演舞者に合わせてうつ。カニ役は棒術すべてを把握している。 ・棒巻の時には、ドラ鐘(カニ)が演舞者を囲むように配置される。カニ役は隊列を把握している。
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- 特にない
課題
- 支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
- ・後継者づくり。 ・ドラ鐘や棒の購入予算の確保。
- コロナで影響を受けたこと
- ・十五夜祭りが3年間中止となったため、指導や演武が停滞してしまった。
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■文献 『甦る伝統芸能 20周年記念誌』(富盛伝統芸能保存会/平成20年11月)8p.13p.26p. ■映像記録 『甦る十五夜綱』(企画/八重瀬町 製作/海燕社)地域創造(平成20年度映像記録保存事業)


