調査票結果
- 地元での呼び方
- 豊年祭(ジュウグヤ)、獅子加那志豊年祭(シーシガナシホウネンサイ) ボー(棒)、棒衆(ボウシンカ)
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- 六尺棒、槍、ティンベー、サイ、トゥンファー、エーク、ヌンティーなど古武道具を使用した、個人または団体による「型」、2人または3人による組棒の演武 豊年祭の中で棒術を演武する人を「棒衆」(ボウシンカ)と呼ぶ。 豊年祭の道ズネーや馬場にて行われる舞台の前座で巻棒が行われ、夕方からの舞台では獅子舞の前に舞方(かぎやで風にのせた棒の舞)、武の舞(組棒を琉球音楽と融合した演武)が演武される 綱引きでは、主に子どもたちと保存会会員による棒術演武が行われる
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■型の演武がある、 ■対面での打ち合い等がある ■その他(獅子舞の前に座清めとして「舞方」がかぎやで風の曲で演舞される)
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- 法要年忌(1、3、7、13、25、33年翌年から1年忌と繰り返す)の年にあたる旧暦8月15日、16日に実施している。 1946年(1年忌豊年祭)戦後初の豊年祭。 2024年(戦後3巡目の13年忌豊年祭)、2036年(25年忌豊年祭)、2044年(33年忌豊年祭) 綱引きは、旧6月15日(ウマチー綱引き)、旧7月15日(七月綱)の年に2回行われ、そのなかで棒術が 豊年祭がない年の9月には敬老会が開催され、その中でも複製獅子による獅子舞演舞や棒術が披露される。後継者育成や獅子文化啓発も兼ねている。
- 上演の場所
- 獅子を祀る野呂殿内、根屋、各門中など8か所の拝所で道ズネーの際に演武する 豊年祭の舞台をする馬場にて巻棒、組棒、団体棒を演武する 綱引きは、志多伯馬場。敬老会は志多伯公民館にて行われる。
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- 志多伯の獅子加那志豊年祭 300年の歴史があると伝えられる獅子加那志を祝う行事。民の無病息災、五穀豊穣、村の安寧を祈願する。 戦前の獅子加那志が戦災で紛失したため、昭和21年には地域復興と同時に獅子を再興し、現在も使用している。その獅子加那志を祝う豊年祭を、昭和21年に1年忌豊年祭とし再開し、2024年は戦後3巡目の13年忌豊年祭を迎える。 年忌の節目にしか行われないため、豊年祭の継承については創意工夫を凝らして後継者育成に努めている。 棒術については、戦前まで各家庭で型を所有し、直系の子孫にしか伝授されなかったらしい。そのため戦後途絶えてしまい、昭和50年沖縄古武道(故 又吉眞豊氏)より基本型の提供を受け、それを基に組棒を創作し現在に至る。志多伯出身の方が3~4名又吉古武道に通っていたことから、その方々が指導者となる。
- 中断・再興の時期とその理由
- 戦災で獅子が紛失したが、終戦翌年の昭和21年には焼け野原からデイゴの木を探し、砲弾用の網を胴体に活かし獅子舞を再興した。現在もその獅子を獅子加那志として村の守り神として崇め、地域の行事として継承している。獅子製作者が存したことが大きな復活の要因である。棒術については、一子相伝の影響が途絶える要因になったと考えられる。現在は平成9年に設立した「志多伯獅子舞棒術保存会」を中心に、若者の活動機会を創出している。さらにコロナ禍において指導者の神谷氏(現 保存会3代目会長)が沖縄古武道の志多伯道場を公民館にて開設したところ、女性や子どもの参加が増えて保存会と道場の融合した形で活動が行われている。
- 武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
- 一子相伝で型を伝授していた時代があった 獅子舞の前座で披露される「舞方」は2~3家族が演舞できたという(現在は、知念家、神谷家の2か所) 沖縄古武道から基本型の提供を受けた。小学校の運動会で志多伯の5~6年生が棒術を演武することが恒例であった(1980~1990年くらい)平等性を問われ廃止。 現在は、小学校や高校から依頼を受け、運動会の集団演技に「棒術」を取り入れる際の指導を行っている 2巡目の13年忌豊年祭(1996年)の翌年に「志多伯獅子舞愛好会」その2年後、1999年に「現 志多伯獅子舞棒術保存会」が結成された。
当該行事における意味
- 行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
- 戦前:志多伯在住の男性の出演演目として位置づけられていた。一子相伝。獅子舞の前の座清め、邪気を払うという意味で舞方が演舞される。 戦後:一子相伝。獅子舞の前の座清め、邪気を払うという意味で舞方が演舞される。 復帰後:伝統の型が途絶えたため、沖縄古武道の基本型を習得し志多伯在住の男性の出演演目として棒術が位置づけられた。近年は女性や子どもたちの参加者も増えている。
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- 2巡目の13年忌豊年祭(1996年)の翌年に「志多伯獅子舞愛好会」その2年後、1999年に「現 志多伯獅子舞棒術保存会」が結成された。伝統の獅子舞の継承と若い世代の活動拠点となるために獅子舞棒術保存会を結成した。コロナ禍になり活動が低迷したことで、志多伯道場(古武道)として開設したところ女性や子どもの参加が急増した。保存会と道場の活動が融合し、活性化に繋がっている。
- 組織の特化
- ■武術の部分に特化した組織がある(獅子舞棒術保存会設置)
- 各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 戦前:保存会などはなく、志多伯在住の男性のみが豊年祭(獅子舞や舞踊、棒術)の出演者を担っていた。 戦後:昭和33年の豊年祭から初めて女性が出演した。 復帰後:豊年祭行事は字行事であることからその時期の区長、副区長が中心となり字評議員と共に豊年祭運営を行ってきた。しかし、開催時期の区長、副区長はじめ役員の労働量が問題視され、平成15年(2003年)からは豊年祭実行委員会を組織し、その中に運営部会(総務部、設営部、接待部、救護部)、専門部会(舞踊、地謡、獅子舞・棒術・道ズネー、芝居)を設け各部長制を敷いて、区長らの負担軽減を図った。その結果、出演者でない役員としての参加者が増え、全体的に参加者が増えてきた。その中で獅子舞棒術保存会は、獅子舞・棒術部会の指導者を担っている。
- 指導者の氏名(さかのぼるまで)
- 戦後から復帰前までの棒術の使い手 神谷寿亀氏、新垣清吉氏、知念松昌氏(舞方)、復帰後は神谷氏、知念氏、新垣氏が指導、近年、保存会結成後、神谷氏、神谷氏、知念氏、神谷氏らが指導者として関わっている。
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- 戦前から戦後昭和33年までは豊年祭は男性のみ出演。棒術、獅子舞に関しては現在も男性のみ出演。 戦後から復帰後しばらくは字在住者のみ参加可能 近年は字外在住の孫世代も参加可能となっている。 2024年の13年忌豊年祭は、前年の2023年に準備委員会を設置し、外部からの参加者受入れや女性による棒術の出演も検討している。獅子舞に関しては原則男性としている
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 豊年祭の開催決定がその節目の年の4月総会に決定。その後豊年祭に向けて約3ヶ月前から、棒術や芝居、舞踊などの稽古がスタートする。 獅子舞に関しては、獅子加那志での稽古使用が2週間前(旧暦8月1日)から使用が認められるため、獅子屋の前に仮設舞台を設置して稽古が行われる。 保存会が設置されてからは、複製獅子を活用した対外的な出演も増え、その出演に向けた稽古が定期的に行われる。さらに道場という形式から、毎週木、土曜日の夜行われている。 豊年祭のない年でも、出演機会をつくることでの継承、後継者育成、指導者養成の場となっている。
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 行事に向けた棒の練習場所は、志多伯馬場にて行う 保存会や道場の稽古は、公民館を使用している
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- 舞方(曲:かぎやで風節)獅子舞の座清めに行う 団体棒、一人棒 「周氏の棍」・「津堅の棍」・「大掛の棍」・「朝雲の棍」・「佐久川の棍」・「大屯棒」・「添石の棍」 二人棒(六尺棒対六尺棒) サイ対棒、トゥンファー対棒 ティンベー対ヌンティ エーク対クワ 長刀対槍 三人棒(六尺棒) 長刀(曲:揚作田節) ヌンチャク 鎌 エーク(櫂)
- 集落以外での披露の有無
- ■集落以外(市町村内)で演武したことがある ■公民館やホールなど(市町村外)で演武したことがある(やえせまつり、八重瀬民俗芸能公演(国立劇場)、棒術フェスティバル(町主催)、棒術シンポジウム(県文化協会主催)へ出演) ■その他(舞踊団体公演へのゲスト出演、県外海外への観光事業への参加)
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- 豊年祭の巻棒(一般参加者)は黒シャツ、黒ズボン、白黒脚絆、黒サージ、白タスキ。保存会は、黒空手着(上下)、黒サージ、白黒脚絆、白タスキを着用。鐘打ちも同様。 いずれも履物は、運動靴か地下足袋。 保存会が演目として「武の舞」(琉球音楽と融合した演出)の際は、武の舞用衣装を着用する、打ち掛けと入道頭巾。
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- 戦前: 戦後:白上下、紫サージ(個人所有) 復帰後:白上下、紫サージ(個人所有) 現在:衣裳や道具の管理は保存会が基本行うが、会員個々人で棒などは所有しているものもある。一般参加者の白黒脚絆、サージ、タスキは公民館所有。 参加者は公民館から配布された黒色の豊年祭Tシャツを着用する。
- 衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
- 現在は字費から豊年祭費用を捻出し、衣装や道具の購入を行っている。 国や県の文化保存関連の助成金を活用し、道具整備も行っている。
- 棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
- 復帰後しばらくは、近隣に木工所があり棒術用の棒を製作依頼をして購入していた。県産の樫材。 近年は木工所もなくなり、守礼堂などから購入している。
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- 鐘(1~2名)、法螺貝(1~2名)、鉦鼓(1~2名)、太鼓(1名)が主体となり、「武の舞」の時は、三線(2~3名)が加わる。
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- 舞方棒 歌三線 「曲:かぎやで風節歌詞:豊なる御代ぬ しるしあらわれて 雨露ぬ恵み時もたがぬ」 獅子舞の曲 長刀(曲:揚作田節) 武の舞(曲:クーサンクー、瀧落とし、太鼓乱打) ※近年(和太鼓、バンド)との共演も行った。
課題
- 支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
- 公民館が老朽化し、活動拠点の整備が急務である。
- コロナで影響を受けたこと
- 豊年祭は開催時期から外れていたため影響はなかったが、綱引きなどの行事が規模縮小したため区民が集う機会が損なわれた。 しかし、その苦境から高校生、大学生らが中心となり「若手リーダー塾」を結成し、綱引きマンガ本を作成し全世帯に配布また、漆喰シーサーつくり教室や夏休み学習支援など、若者が自主的に地域貢献活動を行うことができたことはコロナ禍の大きな収穫といえる。
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■文献 ■映像記録 ■プログラムや式次第 『志多伯の獅子加那志豊年祭ー年忌行事の八月十五夜豊年祭ー』(上)(志多伯伝統文化保存会/平成22年 ふるさと文化再興事業) 『志多伯の獅子加那志豊年祭ー年忌行事の八月十五夜豊年祭ー』(下)(志多伯伝統文化保存会/平成23年 ふるさと文化再興事業) 『志多伯の獅子加那志』マンガ本(志多伯子ども会/平成23年 沖縄県対米請求権事業協会:地域活性化事業) 『獅子加那志が鎮まる村』(企画/八重瀬町 製作/海燕社)地域創造(平成23年度映像記録保存事業) 『志多伯の文化遺産』(志多伯伝統文化保存会/平成30年度 沖縄県地域振興協会) 『ドキュメンタリー映画 うむい獅子』(株 海燕社・志多伯 令和2年度) 志多伯豊年祭うちわ型プログラム(沖縄県立芸術大学芸術振興財団 地域活動助成金)


