調査票結果

年中行事名
■豊年祭
市町村名
八重瀬町
行政区
友寄
小字名
トゥムシ
地元での呼び方
十五夜(ジュウグヤー)。旧暦八月十五夜(夕方から夜にかけて)豊年祭は敬老会を兼ねて毎年行われているが、近年はコロナの影響で3年間中止している。各班からの踊りの他、獅子舞と棒術を保存会を中心に演じている。

武術的身体表現の形態

武術的身体操作・表現の形態
「棒使やー(ボウチカヤー)」と一般に言われているが、明治、大正の先輩方はヤマンニーのタンメーのことを「棒者(ボウシャ)」と呼んで崇めていた。戦前は、十五夜の舞台の前に字の若者が棒巻(ボウマチ)を行い、馬場を中心に道ジュネーがあって大変盛り上がっていたと聞いている。現在は獅子屋より公民館まで300m道ジュネーをしている。昔の映像などを見て復元が望まれる。
武術的身体操作・表現の分類
■型の演武(舞)がある ■対面での打ち合い等がある

時期・場所

行事が行われる期日(旧暦)
旧暦八月十五夜の豊年祭で行われるが、約25年前から平日では字民の都合がつきにくいという事で、旧暦八月十五日後の日曜日に行われる。
上演の場所
公民館の踊り場に舞台を作り約1m下の芝生広場を観客席にしている。また、雨天時は公民館の常設の舞台(屋内)で行われる。台風シーズンの為役員や字民みんなが天気に関して困っている。

行事の目的・由来・伝承

中断・再興の時期とその理由
友寄の獅子頭は当時天然痘の流行を抑えるための神獅子として琉球王府より御拝領されて物であり、村の守り神として崇められている。また棒術もヤマンニーのタンメーという首里の棒者を1週間以上も招聘して伝授されたとされ、絶対に型を変えるなと言われている。村の発展、豊年満作などを祈願して行う。
武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
太平洋戦争のときに田名宗敬作の御拝領獅子が行方不明になり、十五夜祭も中断していたが53年前に、山田真山氏が製作した現在の二代目神獅子が完成し本格的な十五夜が再開された。精力的に戦前の獅子頭捜しを行ったが見つからず山田真山氏に依頼をした。字有地三筆を処分し制作資金を捻出した。1千ドル以上だったと聞いている。

当該行事における意味

行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
獅子舞が沖縄一なら棒術も当然沖縄一でなければならないというのが先輩方の考え方であった。当時首里一番の棒者といわれたヤマンニーのタンメーを招聘して教えを受けた。友寄の人は非常に誇り高い人達であったと先輩方は言っていた。ヤマンニーの棒は1本の棒でいかに急所を守るかが重要であり、頭からつま先まで棒ひとつで隠れて守れる棒術だと教えられた。

組織・指導者・伝承方法

組織
舞台演舞の最初は舞方という棒術で始まる。昭和初期の映像を見ると、棒巻も友寄の名物であったが現在は多人数での棒術は難しい。現在若いメンバーが増えてきているので彼らが意識を持ち続けると復活も可能かと期待する。
各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
■武術の部分に特化した組織がある
指導者の氏名(さかのぼるまで)
2代目獅子頭の完成に合わせて保存会が組織された(53年前)。十五夜行事の中心的な組織として字より活動費の補助がある。また、交流獅子を20年前に製作し、友寄のPRや地域貢献、後継者育成に活用している。青年たちが頑張っており頼もしい限りである。しかし、地域伝統の継承には地域単位で行える部分と、公的な多面的支援の両輪が必要と感じている。町や県の支援が地域の根の部分にまで届くようにしてもらいたい。
出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
【獅子舞】(戦前)久保田00(バンタオジー)、神里氏(メーアカミ小オジー)、(二代目)金城氏、金城氏、久保田氏、金城氏(三代目)安室氏、金城氏、久保田氏、神谷氏、金城氏 【棒術】(初代)東久保田ウフシュ、新垣小のスー、町田氏、町田氏、町田氏、知念氏、神里氏(二代目)町田氏、町田氏、伊良波氏、久保田氏、神里氏(三代目)知念氏

稽古の仕方、期間

稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
戦前までは中学卒業から35歳ごろまでの男子全員で行っていた。特に青年たちは棒者に憧れて十五夜前になると農業の合間にも練習をし芋掘りの場所で芋畑を踏み固めてしまい親から叱り飛ばされたとの逸話もある(町田宗松談)。また練習のし過ぎでトイレにも座れないほど肉離れしたこともあったと聞いた。