調査票結果

年中行事名
■その他(ヤーマスィ゜御願)
市町村名
宮古島市
行政区
来間区
地元での呼び方
ヤーマスィ゜御願という。ヤーマスィ゜ブナカという場合もあるが、ブナカは祭祀組織の名称でもある。

武術的身体表現の形態

武術的身体操作・表現の形態
ボーフイ゜(棒振り)という。
武術的身体操作・表現の分類
■対面での打ち合い等がある

時期・場所

行事が行われる期日(旧暦)
旧暦9月(もしくは8月)の甲午(きのえうま)・乙未(きのとひつじ)の2日間にヤーマスィ゜ブナカの行事があり、その最終日の午後に棒術が行われる。村落の神女による祈願はその前の辰の日から最終日までの四日間行われる。
上演の場所
村落内の路上での行列、およびアマグイジャー(雨乞い座)の広場。

行事の目的・由来・伝承

行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
ヤーマスィ゜ブナカの行事には由来伝承がある。宮古島市による解説板に、「川満の喜佐真按司に年老いてから生まれた美しい娘が生んだ、三人の兄弟の物語です。そのころ、来間島には夜になると赤牛が現れ島の人々をさらって行きました。この話を聞いた三人の兄弟が力を合わせて、この赤牛を取り押さえようとした時、この赤牛は(神様の化身)来間島では以前は大ブーズ、ヤーマス御願を盛大にやっていた。ところが、神様の恩を忘れ祭りを誰もやろうとしない。そこで、神様が怒ってヤーマス御願を復活させるまでは、島民を苦しめるようにと私に命令しました。君達三人がヤーマス御願をもとどうり復活させるなら島民を許してあげようと言いました。三人はこの言いつけを守り島民を助け出しヤーマスお願を続けることを約束しました。そこで、三人の兄弟が三つのブナカの始祖となり今でもヤーマス御願は旧暦九月のきのえ午の日に島中の人々が三人の兄弟、長男スムリャーブナカ、次男ウプヤーブナカ、三男ヤーマスブナカに集まりダスマス(生まれて一年未満の子供の誕生祈願)子孫繁栄と人々の健康及び豊作を祈願してこの広場(雨乞い座)でヤーマス祭りを盛大に開催しています。宮古島市H23.1.29」(原文ママ)とある。
中断・再興の時期とその理由
コロナが流行した2020年から2022年までの3年間、ヤーマスィ゜ブナカの祈願は継続していたが、最終日の棒術と踊りは中止した。2023年から棒術も行うようになった。コロナ流行以前に行事を中断した話は聞いたことがない。
武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
特になし。ただしヤーマスィ゜ブナカの伝承が川満と関係しているので、棒術も川満地区と関係があるのではないかと想像する人もいるが、明確な由来伝承はない。

当該行事における意味

行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
ヤーマスィ゜御願は、ツカサをはじめとした神女組織による村落レベルの儀礼、ブナカと称する3つの祭祀集団レベルの儀礼、各家庭レベルの儀礼、村人全員が集まる芸能の上演(棒術・踊り)など、複数の位相の行動が連続する形で行われる。棒術は、最終日の村落およびブナカでの儀礼が終了した後の祝いの芸能として、踊りとともに演じられる。

組織・指導者・伝承方法

組織
ブナカは、長男スムリャーブナカ、次男ウプヤーブナカ、三男ヤーマスブナカの3つであり、村落の構成員はいずれかのブナカに所属している。棒術の集団は 、3つのブナカごとに作られる。それぞれ棒振り役15名(3人棒×5列)、鉦打ち役1名からなる。またブナカごとにヤライ゜シュー2名がいて、最終日の棒術などの演舞の時間調整・連絡などを担当する。
組織の特化
保存会組織はない。
各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
各ブナカごとに、棒振り15名、鉦打ち1名がいる。
指導者の氏名(さかのぼるまで)
ブナカ内の経験者が教える。以前、私の父親(大正15年生)が指導をしたことがあった。父親は、昔と今(当時)では変わっており、昔はもっと厳しく指導されていたと言っていた。
出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
棒振り役は成人男性で、30歳から40歳代が多い。私は31歳の頃に棒振りに加わった。今は人数の関係から中高生が棒振りに加わる場合もあるが、昔の棒振りは成人男性だけで、子供はやらなかった。棒振りを卒業する年齢は特に決まっていない。鉦打ち役は年長者の決まった人が担当した。昔は私の父が鉦打ち役をしていた。私も一時鉦打ち役をしたが、現在(62歳)はやっていない。

稽古の仕方、期間

稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
1棒術 本番の数日前から、夜に各ブナカに集まって練習する。2踊り 本番の数日前からブナカに集まって練習する。どちらも経験者が指導する。
稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
3つのブナカの家(スムリャー、ウプヤー、ヤーマスィ゜でそれぞれ練習する。

演舞(武)構成

演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
第1日目・第2日目 1村落の神女らが村の御嶽(東御嶽と西御嶽)で夜籠りして祈願する。第3日目 (甲午)1早朝、村落の神女による祈願(スィ゜マヌヌスィ゜島の主 御嶽にて)。2午前、各ブナカでの儀礼。成員が各ブナカに集まり、屋敷内各所を拝む。神および成員へのンツィ゜(神酒)の献盃儀礼。続いてブナカへの加入儀礼としてマスムイ゜とマスピャーの儀礼を行う。マスムイ゜は過去1年間に生まれた子供の披露と祝い、マスピャーは過去1年間の間に成人になったものの披露と祝いである。3午後、各家庭で、自家の畑でパイ゜プーイ゜(畑の豊年祝い)を行う。4午後、村落の神女が西御嶽で祈願し、次にピィ゜ダマガム゜で祈願する。第4日目1午前、各ブナカでヤーニバン儀礼を行う。終了後、ヤラィ゜シュー役が各ブナカを回って、各ブナカの行列の出発時間などの打ち合わせを行い、一同で献盃をしてブナカでの行事は終了となる。最後に全員で民謡に合わせて踊る。2午後、マチマワイ゜。各ブナカの成員(男女)が、村落内を行列して歩く。これをマチマワイ゜という。先頭に幟を立てて、踊り(女性と男性)と棒(男性)の順で並び、唄を流しながら行列する。道中で「ヒキ踊り」を踊る。また数カ所に交差路があるので、そこで止まって棒術を披露する。村落内を一通り歩いた後でブナカの宗家に戻り、終了となる。3午後、アマグイジャーでの棒術・踊り。時間を決めて、3つのブナカがアマグイジャーに集まり、それぞれ座につく。最初にジャービラキ(座開き)として神女(ツカサ、ユージャスなどの神女)がアマグイジャーの広場で踊る。次に各ブナカの出し物として踊りと棒術を披露する。長男ブナカ・次男ブナカ・三男ブナカの順でそれぞれ踊り(女性)と棒術(男性)を披露する。棒術は、アマグイジャーの広場を、西から東に向かって整列して進む。円形にはならず、縦に進む。終了後、村人は各ブナカに戻り、祝宴となる。
集落以外での披露の有無
■公民館やホールなど(市町村外)で演武したことがある
■その他( 平成7年頃、沖縄本島のコンベンションセンターで、来間の青年団が棒振りを上演したことがあった。)

衣装・道具

衣裳・道具の名称と着方
棒振りの衣装は、上が白色のシャツでしたが黒色のズボンをはいていた。これらは各自で用意したものを着ていた。その上に揃いの上着を着けた。
衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
衣裳(上衣)・棒・鉦などはブナカの家が管理する。
衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
衣装の上着は購入品だが、いつどこで購入したか不明。寄付金で購入したものと思う。棒は自家製で、宮古島市内のメイクマンで丸棒を買い、これに赤・黄色のビニールテープを巻いて作った。以前の棒には片端に鈴が付いていた。
棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
材質は不詳。棒の径は4㎝、長さは80㎝の丸棒。

音楽

楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
鉦を打つ係各組ごとに1名程度。

課題

支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
特になし
コロナで影響を受けたこと
2020年から2022年まで棒術と踊りを休止。2023年から再開した。