調査票結果
- 地元での呼び方
- マストゥリャー
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- 棒振り、棒踊り、等という。
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■対面での打ち合い等がある
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- 旧暦8月15日夜
- 上演の場所
- 村落内の各組の路上、および農民研修所(通称公民館またはブンミャー)の広場
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- 豊年祭。マストゥリャーは、かつて王府時代に貢租を完納した祝いの祭りだったと伝えられる。野原には4組(ネ子・トゥラ寅・ウマ午・サル申の4組)があり、それぞれにマスムトゥとよばれる旧家があった。王府時代には各マスムトゥで貢租として穀物を集めて納めていたと伝えられる。旧暦8月15日には、各組(各マスムトゥ)および野原全体で豊年を祝い、その際に上演する棒術も組ごとに練習して伝承している。※ 昭和55年(1980年)12月に文化庁より、「野原民俗芸能保存会」の伝承するマストゥリャーが、重要無形民俗文化財の「選定」を受ける。
- 中断・再興の時期とその理由
- 2020年から2022年まで、コロナ完成防止のため行事自体を休止。2023年から再開した。
- 武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
- 棒術自体の伝承ではないが、当日は会場に子組・申組・午組・寅組の順で入場する。「寅組が先に入場するとその年はトラヌファカジ(寅方向からの大風、台風)が来る」といい、寅組は必ず最後に入場することになっている。
当該行事における意味
- 行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
- 8月15日行事は、神人による祈願、各組ごとの祝宴、最後に公民館広場にて区全体のマストリャー行事(男性の棒術と婦人の踊り)で構成される。
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- 村落内の4組がそれぞれに伝承の組織になっている。組の住民のうち青年の男性が中心となり、5名1組で棒術を担当する。同時に行われる女性の踊りは組別ではなく、野原区全体で組織されている。
- 組織の特化
- ■武術の部分に特化した組織がある(保存会設置)野原区(野原民俗芸能保存会)が国選定の無形民俗文化財マストゥリャーの保存団体になっている。
- 各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 1女性・踊り手 野原区の婦人たちで1組織を形成。 2男性・棒術 区内の組ごとに形成。各組は5人1組で、前棒2名・中棒1名・後棒2名で構成される。中棒がリーダー役。 3鉦と笛 鉦は組ごとに1名の男性が担当する。笛は区全体で2~3名の男性が担当する。 4うたい手 男性1名 公民館広場での全体の踊りの場での唄い手。
- 指導者の氏名(さかのぼるまで)
- 各組のかつての経験者が教える。
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- 戦前・戦後ともに、以前は女性の踊り手の数が多かった。また男性の棒踊りも中学を出た頃の若者が中心であったが、現在は若者の数が減ったため新規の加入者が少なく、40歳代の男性でも棒踊りから卒業できない場合もあるという。
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 以前は旧暦8月15日の1週間前あたりから若者は棒踊り、婦人は踊りの練習をした。現在は数日前から練習している。昼間は仕事があるので、夜、夕食後に練習する。男性の棒踊りは組ごとにあるマスムトゥの旧屋敷前の道路で月明りの下で練習する。その際に組の人々も道路に出てゴザを敷いて座りながら練習をみる。酒やつまみなども用意して楽しむ。前日の8月14日夜に行う仕上げの稽古を「ナリスクン」という。
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 各組(子組・寅組・午組・申組)のマスムトゥ屋敷の前の路上で稽古する。
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- 旧暦8月15日行事 1神人の祈願。午前11時頃にツカサ(女性1名)と供1名(女性。運転役で夫も付添う)が公民館広場にある拝所で祈願。香(平香2枚)を立て、供物として花米1盛、塩1盛、フキャギ餅(白餅に小豆をまぶしたもの)1個、泡盛を供えて祈願する。続いて3名はウプダキ(大嶽)に車で移動し、ウフダキの祭壇上の5か所に先程と同様の香・供物のセットを供えて祈願する。2各クミ(組)の宴会と棒術。夕方6時頃、各組のマスムトゥ近くの路上に組の住民たちが集まり、酒と料理を用意して宴席を設ける。午後9時前に棒踊りの男性たちは衣裳を着替え道具(棒、鉦など)も用意する。9時頃に公民館からマストリャー開始の合図の放送があり、棒術の男性たちが2列に整列する。その場の路上で1回棒術を行ってから、公民館入口に向かう。3公民館広場でのマストゥリャー行事。9時30分頃、男性の棒術の4組と女性の踊り手の順で列を作って広場に入場する。棒術の組は、子組・申組・午組・寅組の順で入場する。続いて女性の踊り手一同が入場する。入場の頃には、公民館の広場に各組ごとの座が設けられ、各組の住民たちが飲み物と料理を用意して着座している。・公民館広場に男性の棒術、女性の踊り手がそれぞれ隊列を作って並ぶ。歌と鉦・笛にあわせて男性の棒集団と女性の集団が反時計周りの方向に進み、演舞(演武)が始まる。男性集団は公民館に向かって右側に小さ目の円を描きながら進む。女性集団は公民館に向かって右側から大き目の円を描きながら進む。・女性集団のうち扇を手にした人は年配者、四つ竹を手にするのは比較的若い女性である。女性の踊りは 「ダキブドゥイ゜(抱き踊り)」とナギブドゥイ゜(投げ踊り)の踊り方がある。・男性集団のうち、鉦と笛の役は円の中央に集まって演奏し、その周りを各組の棒術が進む。棒を打ち交わす所作は、2名+3名(前棒2名どうしで打つ、後棒2名+中棒1名の3名で打つ)、3名+2名(前棒2名+中棒1名の3名で打つ、後棒2名どうしで打つ)、5名(中棒が中央に移動し、前棒2名と後棒2名が打ちこみ中棒1名が受ける)などの型があり、これらを繰り返す。・男女それぞれに半時計周りで広場を一周した後、男性の棒術の列と女性の踊りの列がつながり、広場で大きな1つの輪を作りながら反時計回りに進み、最後に全員でクイチャーを踊る。これを1周して1回目の演武が終了となる。休憩後もう1回演じて、公民館での行事は終了となる。各組の観客もしばらく歓談してから帰宅する。
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- 未調査
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- 衣裳・棒・楽器などはそれぞれ自身で管理する。
- 衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
- 未調査
- 棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
- 材質は不詳。棒の長さは3尺ほど。音が出るように先端に五円玉が仕込まれている。
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- 鉦を打つ係各組ごとに1名程度。
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- 歌詞は未確認。
課題
- 支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
- ・棒術の演じての数はなんとか確保できているが、若い人の新規加入が少なく、なかなか交代できないこと。・女性の踊り手の数が以前に比べて減少していること。
- コロナで影響を受けたこと
- 2020年から2022年までは行事自体を休止。2023年から再開した。


