調査票結果
- 地元での呼び方
- ボーアース(棒合わせ)
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■型の演武(舞)がある、 ■対面での打ち合い等がある
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- 旧暦 8月15日.16日.17日
- 上演の場所
- 字の踊り場 土原ウガム゜
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- 国指定重要無形民俗文化財「多良間の豊年祭」 通称八月踊りの奉納余興として演じられる。 八月踊りの起源は、いつの頃から始められたものか史実は定かではないが、本来の名称が「八月御願」と称されるため、かなり古い時代から始められたと考えられる。御願の後、踊りもそれに伴って生じたものと考えられている。 首里王府は、1637年宮古八重山の住民に人頭税制度を実施その頃には、納税の後に御嶽に祭事を行い皆納の報告と五穀豊穣を感謝し、来年の豊作を祈願する事を年中行事としていた。 その際神前で、「奉納踊り」をすることが慣例であった。そのような営みが皆納祝いとして、住民こぞって大いに祝い、共に喜び 楽しみ、納税の苦労を自ら慰め合っていた。祝い酒に浮かれて個々自在に踊りだすようになり、それがいつしか奉納踊りとなり「農耕などの生業の動作のある島独特の民俗踊り」が行われたと考えられる。 十八世紀の中頃から士族平民の身分が確立しているが、士族・平民区別なく楽しんでいたが、十九世紀の末期になって「組踊り」「古典踊り」が導入されると士族がそれを独占し、当初から踊られていた「民俗踊り」は平民だけのものとなった。 そのように区別されたとき内容に格差がありすぎるため平民の演目として「獅子舞・ボーアース・ヨーンシー」が加えられたと考えられている。
- 中断・再興の時期とその理由
- コロナ禍により令和2.3.4年中止
- 武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
- 口述で先輩から後輩へと幾年代の中で伝承されてきた。
当該行事における意味
- 行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
- 奉納余興の豊年祭は、獅子舞で座を清め、棒踊りで邪気を払い除けることで始まり、豊年祭の最後も棒踊りで邪気を払い除け獅子舞で座を清めて終了する。
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- 多良間村民俗芸能保存会 仲筋字会 中に10座ありその中の1つの座、「獅子座」(スース座) 成年団員が獅子舞とボーアース(棒合わせ)を演じ15人程度で構成される。 演武は、獅子舞:獅子2人・舞手1人。棒踊り ニーニン棒 2人、トウ棒 2人。民俗踊り:キネツキ踊り・臼引き踊り(復帰後だんだんに成人女性が踊るようになった。)
- 組織の特化
- ■武術の部分は専門の師匠がいる
- 各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 多良間村民俗芸能保存会は、仲筋字会と塩川字会からなる。その中の仲筋字会には10の座がある。その1つが獅子座(スース座)
- 指導者の氏名(さかのぼるまで)
- 浦崎氏波平氏湧川氏仲筋氏池城氏 嘉手苅氏波平氏 高江洲氏 濱川氏嘉手苅氏 大城氏
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- 成人男性 戦前・戦後までは、数え15歳から25歳までの男子 復帰後は18歳から30歳。現在は、20代から40代の男子が演じる。進学や過疎化による変化
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 豊年祭の「八月御願手始め」である2週間前から練習を行う。
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 戦前戦後は各座長の家。復帰後は集会場等。現在は区の公民館や字の集落センターを利用する。
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- ニーニン棒 2人 トウ棒 2人。
- 集落以外での披露の有無
- ■集落以外(市町村内)で演武(舞)したことがある ■公民館やホールなど(市町村外)で演武(舞)したことがある
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- 棒は、チャーギ木で制作され、棒の両サイドに2色類の色紙が張られている。 衣装は、上義は、白の長そで袖襟付きシャツに、ズボンは、白のジャージ。上着の上から右肩から左にたすき掛けの色布をかけ腰で結び飾りがついている。 腰に色帯(ピンク・赤・青)を二人同じ色で巻く。足元は緑色の脚絆を巻く。足は白足袋。頭に水玉の鉢巻。
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- 獅子座で保管
- 衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
- 修繕は、基本座員で行う。スタフ座(仕度座)の手を借りるときもある。 経費は、字の費用で賄う。
- 棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
- 棒は、イヌマキ(チャーギ)で制作 現在は、テリハボクの木を使用するときもある。
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- 三線のみ 踊り手が、「ソ」と「ヘェー」という掛け声で威勢よく演じる。
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- 三線のみ
課題
- 支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
- コロナ禍により演舞の機会が無くなった。 演者の減少 演舞練習も出来ないことで体力に不安を持つ者が現れた。
- コロナで影響を受けたこと
- コロナ禍により令和2.3.4年中止演舞の機会が無くなった。
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■文献(冊子 たらまたらましまの八月踊り28p) ■その他( 写真集 多良間島の八月踊り80p94.95p)


