調査票結果
- 地元での呼び方
- キツガンサイ
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- ・山頭を先頭に御嶽の敷地内に入り、獅子舞及び全十二組(24人)の組手、演舞を行う。
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■型の演武(舞)がある ■対面での打ち合い等がある
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- 12年毎に御嶽及び公民館の決定により行う。
- 上演の場所
- 平得村内の御嶽各所
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- 目的は、無病息災や五穀豊穣等を祈り村の繁栄を願うまつりごと。
- 中断・再興の時期とその理由
- 戦前は5~6年周期で公民館主導で行っていたが、戦後御嶽側に一任することとなったため、昭和25年に行って以来平成14年まで行われずにいた。平成14年には公民館が再度携わることとなり執り行った。 その後、平成26年11月23日に再度執り行った。
- 武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
- 伝来時期については定かではないが、組手については各村の手を参考に作られ、口伝・実演にて継承されてきた。 村において棒術は基本的に結願祭、公民館の落成式等で演舞するが、昭和25年の結願祭依頼演舞の場がなかったため伝統を継承する意味で、田盛一雄氏を筆頭に昭和46年に復活させた。 その時の手は「一番棒、ガギ棒、六尺棒、組棒一(白保手サブティ)、組棒二(西表手カディナティ)の五組であった。
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- 平得獅子舞棒術旗頭同好会
- 組織の特化
- ■武術の部分に特化した組織がある ■武術の部分は専門の師匠がいる
- 各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 昭和61年平得公民館落成式にあわせ、獅子舞棒術同好会を結成した。 それ以前は村に住む男性の有志により行事の時のみ参加していた。
- 指導者の氏名(さかのぼるまで)
- ホリ氏、シラホ氏、ハエモリ氏、タモリ氏
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- 村に住む男性、または、平得に本籍をもつ男性
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 行事の1~2か月前より練習を開始する。
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 公民館または近くの広場
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- 獅子舞演舞後に全十二組一列で入場し、演舞、周巻、退場の流れ。 一番棒、組棒一、かさ棒、やり棒、サイ棒、ガギ棒、組棒二、刀棒、薙刀棒、組棒三、組棒四、六尺棒
- 集落以外での披露の有無
- ■集落以外(市町村内)で演武(舞)したことがある
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- 1カニウツパイ2サシマタ3ハチマキ4手甲5襦袢6ハビル(ハピル)7白い長ズボン8ケハン9ワラジ 1を直に頭に巻き、2をでこに当て、3で締める。 4の上から5を着る。 手に4を着け、足首からひざ下にかけて8を着ける。
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- 衣装、道具については公民館の備品として公民館で管理している。
- 衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
- 衣装については、都度都度買い換えている。 棒の
- 棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
- 槍や刀にはアピトン材を使用していたが、平成に入ってからは杉材を使用している。 六尺や組棒に使用するものについてはクバを使用している。
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- 銅鑼1人、ションコ1~2人、太鼓5~15人、笛、2~5人
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- 同上
課題
- 支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
- 同好会を結成したが、公民館予算だけでは道具等を新調できないため、予算を支援いただきたい。
- コロナで影響を受けたこと
- 特になし。
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■映像記録 ■古老の記録、メモ ■プログラムや式次第


