調査票結果
- 地元での呼び方
- フバナーギ(ツナヌミン)
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- 台の上に一人は鎌、もう一人はナギナタを持ち、対峙して演武を繰り広げる。
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■対面での打ち合い等がある
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- 旧暦6月のカンビューリィ(神日和)と呼ばれる癸や甲の日とその翌日の2日間にわたり豊年祭は行われる。その2日目の夕刻に行われる。
- 上演の場所
- 石垣市字新川にある真乙姥御嶽での儀式が終わった後、この御嶽から西へ移動した十字路を中心に行われる。
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- 今年の豊作への感謝と来年の豊作への祈願を目的として行われる豊年祭の終盤に、余興の一つとして行われる。新川村の経験者により伝承されている。
- 中断・再興の時期とその理由
- 1945年は太平洋戦争のため中断。令和元年から4年にかけてはコロナ禍で行事が縮小されたため、演じられなかった。
- 武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
- 2人の若武者は武士(役人)と平民(農民)、あるいは牛若丸と弁慶と表現される場合がある。
当該行事における意味
- 行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
- 近年では、天川御嶽(アーマーオン)への奉納演武が行われている。
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- 2日間にわたり豊年祭は行われるが、その2日目の夕刻に登場し演じられる。余興は2日目の祭祀行事の終了後、西へ移動して、日の入りで西の空が赤く染まった頃合いに松明を焚いた中で開始され、暗くなった頃に両者の勝敗はつかないまま終了となる。その後、綱引きが行われ勝敗は決まる。近年は、子どもたちの参加もあり、時間帯を早くしてほしいとの声がある。
- 組織の特化
- ■武術の部分は専門の師匠がいる
- 各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 戦前、戦後、復帰後しばらくは5町内(上の村)の方が中心に役割を担った。近年は5町内以外の方が酸化する場合も見られる。
- 指導者の氏名(さかのぼるまで)
- 新川字会の歴代経験者。
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- 戦前、戦後、復帰後において10代後半から30代後半の男性が役割を担った。
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 戦前・戦後の状況は定かではないが、近年、希望者は祭祀担当者へ出演したいことを申し出て、豊年祭の1ヶ月前頃より稽古を開始する。
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 稽古場所は決まっていない。公民館、公園ほか、人目に触れず稽古を行う。
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- 演武には、東の大将と西の大将と呼ばれる2人の武者が登場する。東の大将はナギナタを持ち、ナギナタで振り払う、切り込む、振り下ろすなどの攻撃をする。一方、西の大将は鎌をもち、相手の攻撃を飛んでかわす、身を入れ替えてかわす、鎌で受け止めるなどをし、終盤に唯一、相手に鎌を足元めがけて足払いの攻撃を行う。また、それぞれの動作の合間には、お互いに見えを切り、威嚇して激しい攻防を繰り返す。最後にお互いに見えを切り、引き分けで、台が離れることにより演武は終了する。
- 集落以外での披露の有無
- ■集落以外(市町村内)で演武(舞)したことがある ■公民館やホールなど(市町村外)で演武(舞)したことがある
衣装・道具
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- 新川字会の公民館にて保管されている。
- 衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
- 毎年、豊年祭のために準備委員が任命され、その方々により道具等の準備がなされている。
- 棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
- 変化はない。
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- 該当なし。
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- 該当なし。
課題
- 支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
- 道具の修繕、衣装の調達と演目の記録の実施が課題である。
- コロナで影響を受けたこと
- コロナ禍で行事は縮小され、4年間演じられなかった。
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■古老の記録、メモ ■プログラムや式次第


