調査票結果
- 地元での呼び方
- 新川南風ぬ島(ハイヌスマ)カンター棒
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- 本来は武術であったと考えられる棒術
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■型の演武(舞)がある
■対面での打ち合い等がある
■獅子に対峙しての武術がある、
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- 特に定められた期日はない。お祝い等で演じられる。令和5年は旧盆の送り日(オクリビー)に行われる獅子祭の前に演じられた。
- 上演の場所
- 特に定められた場所はない。
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- 昔、漂流民から唐眞家に棒踊りが伝わり、南風ぬ島カンター棒として唐眞家の家宝として伝承されていた。1757年に新川村が創建されたのを機に、新川村の宝として後世に伝えていくこととなったとされる。現在、新川村の誇る伝統民俗芸能として、保存会を組織し継承されている。
- 中断・再興の時期とその理由
- 特になし。
当該行事における意味
- 行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
- これまでに、石垣小学校創立80周年記念式典、石垣港の開港式、沖縄海洋博覧会、名護市で開催された南ぬ島大会、与那国町での広域まつり、石垣島まつり、宮良長包生誕120年記念式典、石垣空港開港式、真乙姥御嶽拝殿落成式など。
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- 新川字会、南風ぬ島カンター棒保存会
- 組織の特化
- ■武術の部分に特化した組織がある
- 各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 平成元年に南風ぬ島カンター棒保存会が発足し、その継承に努めている。
- 指導者の氏名(さかのぼるまで)
- 新川字会の歴代経験者。
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- 出演者は、新川村に在住する10代~50代の男性を中心とする。
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 定期的な稽古は行われない。祝事等で演じることが決まると、祝事の日より早くて約1ヶ月前から練習を開始する。
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 稽古場所は決まっていない。公民館、公園、学校ほかで行われる。令和5年は石垣中学校を中心に練習が行われた。
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- 鳴物(笛吹、太鼓打、銅鑼)と、棒舞組(10~15組)、獅子2頭で構成される。棒舞組は、地謡の音に合わせ、2列に整列して入場し、ニナイディ(備えの構え)、廻り舞い、舞いティ(一番の舞)、ツキディー(二番の舞)、カミディー(三番の舞手)、ウツディー(4番の打ち手)、マキティー(巻き手)、カクティーを演舞する。演舞が終わると、雄雌の獅子が登場し、獅子パーシーの声かけの元、獅子舞が演じられ、獅子舞が終わると、全体で退場する。
- 集落以外での披露の有無
- ■集落以外(市町村内)で演武(舞)したことがある
■公民館やホールなど(市町村外)で演武(舞)したことがある
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- 棒舞及び鳴物の衣装・道具は、5.5尺程の棒、頭に草の繊維を赤く染めたカンター、上衣は白地の七分小袖、下衣は白地長バンツで、黒帯に赤襷、背中に緑色の葉っぱをつける。また、足は赤地に白線の脚絆と草鞋を履く。鳴物は竹製の横笛、太鼓及びバチ棒、銅鑼及びワラ棒を持つ。
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- 入嵩西家(字新川151番地)で大切に保管されている。
- 衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
- 南風ぬ島カンター棒保存会に小道具・装具の部があり、道具の修繕や製作を担っている。
- 棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
- 変化はない。
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- 該当なし。
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- 該当なし。
課題
- 支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
- 道具の修繕、衣装の調達と演目の記録の実施が課題である。
- コロナで影響を受けたこと
- コロナ禍で演じられることはなかった。
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■文献
■映像記録
■プログラムや式次第
■その他(新川村南風ぬ島カンター棒舞獅子舞定本)


