調査票結果
- 地元での呼び方
- 百姓棒
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- 刀、ナギナタ、六尺棒、三人棒、エーク、ティンバイ、カニパー(クワ)、カマ(ガギ)、の棒術を2名1組の組手で演武する。基本的には仲間満慶山から伝承された棒術を基本とし、役人と百姓の戦いや三人棒(大男と小人の戦い)等、迫力ある棒術が特徴である。
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■対面での打ち合い等がある
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- 結願祭:旧暦の8月頃
- 上演の場所
- 結願祭:群星御嶽(雨天の場合は先頭棒等の一部棒術のみ奉納する。)
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- 播種、生育、収穫が雨に恵まれ、災害にも免れて無事にすべて済んだことに感謝と来期の豊作および住民の幸福を祈願する。
- 中断・再興の時期とその理由
- コロナによる自粛期間中は縮小開催
- 武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
- 約500年前、川平村に仲間満慶山という人物が生まれた。彼は長じて武術の優れた青年となった。満慶山は毎日棒術、剣術、弓術を考案し、自己流で攻防戦の稽古に余念がなかった。ある日、その修練振りを村の若者達が、遠くから見て驚いた。まるで飛鳥のような身軽さ、早業である。そして自分達も満慶山の様にならうとの一念から、遠慮なく指導乞うたところ、満慶山も喜んで承諾し教えたのが棒術の始まりであると伝えられている。今日まで継承保存され、村の結願祭や節祭で奉納されている。
当該行事における意味
- 行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
- 結願祭が執り行われる群星御嶽への奉納として、境内において棒術演武を行う。歴代の棒術師匠から口伝による演武指導により伝承されてきた。近年ではビデオカメラ等による動画撮影や棒術の工工四の作成等、先代からの棒術演武を正確に継承できるように取り組んでいる。
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- 主に青年会や青年会OB棟等で結成される「川平棒・太鼓・獅子保存会」取り組んでいる。
- 組織の特化
- ■武術の部分は専門の師匠がいる
- 各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 毎年、公民館から役割が言い渡され、棒・太鼓の責任者を中心に演者を決定する。近年は保存会が中心になって組織、役割を決定している。
- 指導者の氏名(さかのぼるまで)
- 髙嶺氏・宮良氏・前浜氏・大浜氏・波照間氏・南風野氏・岸本氏 など
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- 川平村に関係のあるすべての方 12歳~50歳までの男性
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 本番約10日前後
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 川平公民館
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- 座見舞:御嶽の境内を笛、太鼓、棒術の順に入場し、境内を清める。 本舞:刀棒から始まり約10組の棒術を奉納する。
- 集落以外での披露の有無
- ■集落以外(市町村内)で演武(舞)したことがある
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- 上衣は紺地に赤えり、下は白ズボン、たすき、黒帯、白黒縦縞の脚絆、頭には、カナイフチブイ(麻糸で織った松竹梅の模様のある大風呂敷)をかぶる。カク(棒組の前に立つ人)の上衣は短めに、ナカンギィリ(棒組の後ろに立つ人)の上衣は、やや長めである。
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- 衣装、棒等の道具は全て公民館と保存会で管理している。
- 衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
- 主に公民館の予算で対応しているが、近年では公的補助金等も活用している。
- 棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
- キャンギ・ガジュマル・クバ等の島材木を使用している。
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- 服装は昔は芭蕉着物に帯を締め、草履を履いたという。時代が変わり、洋服に靴を履いた時代もあった。近年では着物、はかま、黒足袋に、下駄が定着していたが、最近では昔の服装に戻している。
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- すべて笛と銅鑼・太鼓で行う。
課題
- 支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
- 道具の修繕や衣装の費用不足 若者の島離れ(後継者不足)
- コロナで影響を受けたこと
- 3年間縮小で開催したため、後継者育成が出来なかった。
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■文献 ■映像記録


