調査票結果
- 地元での呼び方
- 豊年祭⇒プール
武術的身体表現の形態
- 武術的身体操作・表現の形態
- 豊年祭・結願祭⇒棒術、鎌踊り(ガッキブドゥン)、エークの演武、舞踊(空手の動きが混じっている) 旧正月⇒綱引きがあり、北から鎌を持った演者、南から槍を持った演者が出てきて打ち合いの演舞をする。
- 武術的身体操作・表現の分類
- ■型の演武がある ■対面での打ち合い等がある ■獅子に対峙しての武術がある ■芝居の中で武術的所作が演じられる ■その他(獅子に関する表現では、獅子の棒(東筋部落)がある。その時は仲本地区がオスの獅子、宮里地区がメスの獅子を演じ、周りで保里地区が太鼓をたたくとのこと。)
時期・場所
- 行事が行われる期日(旧暦)
- 豊年祭⇒旧暦の6月 結願祭⇒7月(旧盆の時期を外して) 旧正月⇒旧正月
- 上演の場所
- 豊年祭⇒宮里海岸 結願祭⇒各御嶽の前(黒島には8つの御嶽がある) 旧正月⇒芸能会館の前(「なーみち」と言う)
行事の目的・由来・伝承
- 行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
- 目的:無病息災、収穫祈願、ゆいまーるの心を願っている。
- 中断・再興の時期とその理由
- 結願祭については、御嶽で行事を行う司の後継者がいないため、中断している。
- 武術的身体表現(「空手」「棒」等)にまつわる由来、伝承や民話、説話など
- 黒島にもともと空手はないが、外から「村芝居」(芸能団)が来て、もともとあった黒島の舞踊と混ざったのでは。
当該行事における意味
- 行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
- 防御の手としての意味がある。 昔から変化はしていない。
組織・指導者・伝承方法
- 組織
- 東筋(あがりすじ)、仲本(なかもと)、宮里(みやざと)、保里(ほり)、伊古(いこ)の5部落があり、それぞれで行事を担っている。
- 組織の特化
- 昔は各部落で選抜された人のみが演舞に参加できた。 今は、婦人会や郷友会が担っている。
- 指導者の氏名(さかのぼるまで)
- たまよせ氏、なこそこ氏 等
- 出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
- 演者の選定理由は分らない。その当時の指導者の一言(判断)で決まっていた。
稽古の仕方、期間
- 稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- 行事の1か月前くらいからスタート 昼、夜、毎日稽古する。
- 稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
- うみや(母屋?)
演舞(武)構成
- 演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
- 仲本の棒(ティンバイ)⇒一番棒(東筋)⇒仲本のカッキ棒(鎌と棒)⇒各部落の棒⇒保里のエーク
- 集落以外での披露の有無
- ■集落以外(市町村内)で演武したことがある⇒竹富町でのぱいぬ島まつりに参加 ■公民館やホールなど(市町村外)で演武したことがある ⇒国立劇場おきなわ
衣装・道具
- 衣裳・道具の名称と着方
- 衣装に名前はついていない それぞれの役が着るものは決まっている。
- 衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
- 現在、東筋は、芸能会館で保管している。 その他は郷友会で保管している。 昔は、部落の長の家で保管していて、持ち回りだった。
- 衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
- 東筋は、旧正月の祝儀やお祝いの時の寄付などで修繕やクリーニングをしている。(他の部落は不明)
- 棒など用具の材質(戦前、戦後の変化)
- 棒は昔からチャーギで作っている。
音楽
- 楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
- 太鼓、ドラ、ボラ、三線があるが、昔から変化はない。 演奏者の人数に決まりはない。
- 楽曲(戦前、戦後の変化)
- 楽曲は昔から決まっていて、毎年の練習の時に引き継がれてきている。変化はない。
課題
- 支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
- 行事に係る人やお金が不足している。ほとんが島外に住んでいる(郷友会や黒島にルーツのある人)ので行事の度に帰ってくるのが大変。 お供え物は毎回手出ししている。
- コロナで影響を受けたこと
- 豊年祭はストップした。うがみなどの神事はやらないといけないので、最少人数で行った。
記録
- 文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
- ■映像記録(『黒島民族誌』国立歴史民俗博物館作) ■その他(ビジターセンターに写真資料等がある。)


