調査票結果

年中行事名
■豊年祭(ムシャーマ)
市町村名
竹富町
行政区
波照間
地元での呼び方
ムシャーマ

武術的身体表現の形態

武術的身体操作・表現の形態
前集落:2人棒(10組) 西集落、東集落:鎌棒、刀棒、ナギナタ(西集落:ししんぼう、東集落:コームッサー)
武術的身体操作・表現の分類
■対面での打ち合い等がある ■その他(対面での打ち合いだが、本来は体に当てずに寸止めするのが正式)

時期・場所

行事が行われる期日(旧暦)
旧暦7月14日(旧盆)
上演の場所
番所あと(道サネーで演武を披露しながら番所あとへ向かう。番所あとでは奉納演武を実施)

行事の目的・由来・伝承

行事の目的・伝播の仕方 (どのように伝承されるようになったか。)
目的:祖先供養、五穀豊穣、ミルク神への奉納(奉納芸能) 約130年前から実施。
中断・再興の時期とその理由
コロナによる2年間は神事のみの実施で、芸能は実施せず。

当該行事における意味

行事の中での演武(舞)の位置とその意味(戦前、戦後、復帰後の変化)
獅子舞演舞の場を清める

組織・指導者・伝承方法

組織
前、西、東の各公民館
組織の特化
■武術の部分は専門の師匠がいる 2~3名
各組織の役割等(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
公民館の館長・役員にて保存・運営を実施(人手不足)
出演者の状況・条件(年齢・性別/戦前・戦後・復帰後)
棒・太鼓は中学生がメイン(以前は小学校高学年の生徒もやっていた) 性別の制限はないが、男性がほとんど。行事自体は20代~30代がメインだが、60代も参加している。

稽古の仕方、期間

稽古のスケジュール(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
棒・踊り(午前)→舞踊(コームッサー、ししんぼう)(午後)→獅子舞→各組で棒・太鼓 2日前くらいから衣装や道具の準備・確認
稽古の場所(戦前、戦後、復帰後等の変化についても)
決まっていない

演舞(武)構成

演武(舞)構成 (芸態)(現状を含む)
棒・踊り(午前)→舞踊(コームッサー、ししんぼう)(午後)→獅子舞→各組で棒・太鼓 過去は狂言の披露もあった
集落以外での披露の有無
■集落以外(市町村内)で演武したことがある海洋博(万博)

衣装・道具

衣裳・道具の名称と着方
衣装に名前はついていない それぞれの役が着るものは決まっている。
衣裳・棒、他の用具の管理と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後等の変化について)
すべて公民館で保管
衣裳・棒、他の用具の修繕や製作、購入の方法(担当、方法、経費など)
公民館予算や寄附を募るなどして予算を捻出している。 修繕については、基本的にすべて自分たちで実施

音楽

楽器の内容と呼称、各楽器の演奏者数と時代の変化について(戦前、戦後、復帰後など)
太鼓・笛・三線 演奏者の人数に決まりはない。
楽曲(戦前、戦後の変化)
舞踊で使用する楽曲と、番所あとで最初に演奏する波照間島節は決まっているが、棒の演武で使用する楽曲が決まっていない。 演奏者・公民館などに任せられている。

課題

支援してもらいたいことや困っていること(今後の継承等課題等)
人口減少による行事の維持と継承 3~4年後には島の人口が300人を切るため、行事の維持を懸念している。 3~4年後に国立劇場おきなわでのムシャーマ披露の依頼をいただいているので、そういったところとも連携をして継承していきたい
コロナで影響を受けたこと
コロナによる2年間は神事のみの実施で、芸能は実施せず。

記録

文献、映像記録、古老の記録、プログラムや式次第など
■文献 県立博物館と県立図書館に文献があるはず。 ■■映像記録 県立博物館と県立図書館に映像があるはず。 ■その他(島の中に残っているものは公民館が管理しているもののみで、基本的には口伝。公民館で管理しているものも、公民館に任せている。)